近江/ 神明山砦



ファイルNo1803

賤ケ岳の戦いの際の羽柴方陣城

              主郭西側の堀切  

@ しんめいやまとりで
  別名  大杉山砦 

A住所:長浜市余呉町文室〜八戸
    旧:伊香郡余呉町文室〜八戸

B目標地点:
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀・堀切・土塁
G時代/人物:戦国期/木村氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓登り口から25分
J撮影・訪問時期:2007年11月・2018年11月
         2019年05月

  

道案内 

北陸自動車道木之本インタを下り、国道8号線を横切り国道365号線に入ります。6Km先、余呉町役場の300m手前で斜め左に下りる道があります。ここを下り、すぐ左折します。八戸集落方面に進みます。約1Km進むと、右手農道の角に説明板が立っています。この農道に右折し、山の麓まで行くとそこに西天神社という神社があります。説明板ではここから登るとなっていますが、本殿裏手で道は無くなり、右手尾根に直登になります。(私は直登してしまいました)ちゃんとした道は天神社から山すそ(用水路沿いに)を東に250mほど右手方向に進みます。高圧線を越えたところに白いガードレールがついた用水にかかる小さな橋があります。ここに堂木山尾根上にある鉄塔の管理用の道がありますのでそこから登ります。<堂木山砦・神明山砦の標識あります。> 尾根まで登ると堀切で、ここにも同様の標識が有り、左手が鉄塔で、その先尾根道を進むと神明山砦です。<この堀切箇所を右手に登ると堂木山砦です。>
 
訪城備忘録

堀切(切通)の所から左手に登るとフェンスを越えすぐに鉄塔です。鉄塔を越えるとわりと広い尾根道になります。草木が多いですが藪というほどではないです。鉄塔から主郭までは500mほどでしょうか。尾根のとにかくところどころのテープを頼りに進みます。200mほどで一段高くなる箇所があります。前面に腰郭のような平坦部を持ち、背後に堀切のような窪みがあります。どうも古墳らしいです。さらに100mほど進むと尾根を遮断するように横たわる土塁にぶつかります。ここから城域です。この先からまた一段高くなるのですがこの高台を取り囲むようにして斜面に沿って空堀が馬蹄形に巡っていました。高台は土塁が巡り尾根を見張る監視の郭のようです。さらに先には三角に近い郭があり、これが主郭のようです。中央がさらに高くなった櫓台がありました。主郭の南北は帯郭があり、後方(西側)には土塁、その背後に大きな堀切があり、その先にも堀切があります。こちらは、尾根伝いに来る敵に対して多重の堀切で防御しています。実際に、この尾根を進めば、前田利家が別所山砦の後に進出した茂山砦があります。神明山砦は尾根上に300m程度の城域を持ち大型の砦でした。

2018年11月再訪
今回は余呉湖から斜面を登り尾根まで出て、茂山砦経由で訪城しました。 余呉湖のやや西側(北陸線のトンネルの西側の集落背後から登ります。林道のゲートを越え、砂防ダムまでまずは行きます。砂防ダムの反対側に下りて200mほど行くと山に続いている道があります。このつづら道の山道を尾根まで登ります。尾根に登ると林道にぶつかります。「えぇ!林道あんの!」とやや落胆しますが、林道は尾根を走っておらず、尾根をテープ頼りに進んでいきます。途中、茂山砦を越えた(正確にはそばを越えた)と思うんですがどこが茂山砦か判断できませんでした。茂山砦ピークかたやや南東側へ急斜面を下りて、そこから約800mほど進むと神明山砦です。以前に比べ草刈りもされ、説明板も設置してあり、大変見学しやすくなってました。


主郭
歴史

天正十一年(1583年)の賤ケ岳の戦いの際の羽柴方陣城です。最初、天神山に砦を築きますが、柴田勝家方の砦に距離が近すぎるため、合戦前に山路将監正国らに堂木山砦・神明山砦を築かせてここに兵を下げ、木村隼人重茲が守ったとされます。 <現地案内板より>
東の郭と土塁
主郭と土塁
主郭切岸
西の郭と土塁
西の堀切1
西の堀切2
西の堀切2を尾根側から見る
西の堀切3
現地説明板より
地理院地図の加工(黄色は余呉湖から歩いた場合)
2007年訪城時
主郭周辺
東からの最初の土塁               斜面の土塁と堀状
主郭西側土塁                  主郭西側堀切
  
堂木山砦との分岐点                 城跡への尾根道
 八戸集落の神社                  八戸集落から城跡遠望
茂山砦付近

近くの城・関連の城:堂木山砦・茂山砦