近江 / 堅田陣屋



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                           陣屋側から浮御堂を見る 

@ かただじんや 
  別名 

A住所:大津市本堅田1丁目
B目標地点:伊豆神社・満月寺(浮御堂)
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地

F遺構等:説明板・(石垣?)
G時代/人物:江戸期/堀田氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  浮御堂近くの観光駐車場から5分

J撮影・訪問時期:2007年10月・2015年05月

  

道案内 

琵琶湖大橋から国道161号線に出て大津中心部方面に向かい1.6Km先の迎木口の信号を左折します。700m進むと「湖族の郷資料館」前に観光用駐車場があります。さらに100m進んで左折すると伊豆神社、直進すると満月寺(浮御堂)です。この伊豆神社も北側・東側が陣屋跡です。

訪城コメント

伊豆神社は水路が四方を巡っています。これは陣屋がある当時からあったようで舟入の水路だったようです。伊豆神社は島のように浮かんでいたちゅうわけです。陣屋の中心地にあたる東側は民家と都久生須麻神社があります。表門側に現在ある駐車場入口に説明板があります。横の舟入は当時のものだそうです。都久生須神社から湖岸に出てみますと浮御堂に向かって遊歩道が整備されていますが、陣屋側の石垣はその当時の石垣もあるようです。この周辺、伊豆神社に隣接したところにある祥瑞寺は一休さんが修行した寺です。さらに、少し離れた野神神社には勾当内侍(新田義貞の妻)の墓があります。勾当内侍は越前に逃れた新田義貞をこの地で待つも、義貞戦死を聞き、琵琶湖に身を投げたという伝説のようです。別の逸話が有り、群馬などにも勾当内侍の墓はあるようですけどね。なお、浮御堂は、近江八景のひとつ「浮御堂と落雁」で有名ですが、今の浮御堂は昭和の建物のようです。

浮御堂
歴史

堅田は古くより水運の拠点でした。「堅田衆」と呼ばれて、琵琶湖を航行する船の安全を保証するかわりに、警護料を徴収したりで、水上交通における大きな特権を持っていました。 また、比叡山延暦寺、一向宗の勢力が入り組んでいました。元亀の争乱の際、なかなか浅井・朝倉から離脱しなかった堅田衆でしたが、猪飼野昇貞、馬場孫次郎、居初又次郎などが織田信長に従い、後に明智光秀に付けられました。江戸期に入り、天領でしたが、元禄十一年(1698年)に大老・堀田正俊の三男・堀田正高が入封し堅田藩が成立し陣屋を築きました。六代藩主堀田正敦の時、文政九年(1826年)に下野佐野に転封となり、堅田は再び天領となりました。


現地説明板
伊豆神社周囲の水路
表門側舟入(当時のもの)                       満月寺

  

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