近江/ 永源寺高野館



ファイルNo1727

織田信長の側室のお鍋の方の屋敷と言う伝承がある

          スロープ状の虎口(発掘調査時)  

@ たかのやかた
  別名 

A住所:東近江市永源寺高野町
    旧:神崎郡永源寺町高野

B目標地点:高野神社
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:田畑

F遺構等:石垣?・発掘石垣・説明板
G時代/人物:戦国期/−−−
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2007年05月・2008年10月
            2015年04月・2018年07月

  

道案内  

名神高速道八日市インタより国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で国道307号線を横切ります。5.5Km先の山上小学校前の信号を左折し、200m先の紅華橋を渡ります。渡すとすぐ左手に高野神社の鳥居があり、そこに左折します。坂を登りきると、新しい農道が左に有り、そこに左折します。500mほど行った先、茶畑の先端の段差のところです。
訪城備忘録

発掘された石垣が50mほど3段から7段程度の規模で残っています。中央にスロープ状の虎口の坂道があり、これも石垣でできています。石は頭ふたつほどの大石で、野面積みです。なかなか見応えのある石列で得した気分になれます。 土地改良工事の土砂が遺跡のそばまで来ていて、建設機械が二台置いて有りました。最終的には埋め戻されます。なお。近くの高野城とは関係の無い館とのことで、主は誰かわからないようですが、信長の側室だったお鍋の方の可能性もあるようです。

<2008年10月>
発掘調査で現れた石垣は埋め戻されたようで綺麗に整地され、斜面はコンクリート石垣になってました。先端の石垣はそのままになってますが、これは城石垣とその後の畑用の土止め石垣が混じってる感じだな。
<2015年04月>
現場は埋め戻され、小さな運動場になってました。そこに説明板が設置されてました。建物跡はその後の耕作地となっていたため確認はできなかったとの事ですが、出土遺物に織部好みの焼き物など出たようで、高貴な方が主であったと推測されると書かれてました。もう、斜面に石垣が残されているのみです。
発掘虎口
歴史

詳細不明

説明板

織田信長の晩年の側室/ お鍋の方 <興雲院(きょううんいん)


お鍋は六角氏の家臣の高畑源十郎の娘と言われ、最初は八尾城(東近江市(永源寺)山上)の小倉左京亮実房に嫁いたものの、左京亮が信長との親交があり、六角氏より責められ自害したようです。夫の死後に岐阜へ行き信長の側室となったようで、信高・信吉をもうけたとされます。天正十年(1582年)の本能寺の変で信長が死ぬと豊臣秀吉の庇護を受け、近江の愛知郡に住んだようです。慶長五年(1600年)の関が原の戦いで信高・信吉は西軍に付いたため改易され、お鍋の方も追われますが、淀殿に庇護され、京都に住んだようです。慶長十七年(1612年に死去し、墓は大徳寺惣見院にあります。

  発掘現場         虎口坂道と石垣
発掘された石垣
斜面石垣 2018年撮影
     
丘陵先端の石垣
斜面石垣   
丘陵先端の石垣
斜面石垣
斜面石垣
斜面石垣

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