近江/ 朝妻城



ファイルNo1701

          中島神社  

@ あさづまじょう 
  別名 

A住所:米原市朝妻・筑摩
    旧:坂田郡米原町

B目標地点:中島神社・朝妻神社
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:神社・宅地・田畑

F遺構等:堀?
G時代/人物:戦国期/新庄氏
H満足度: 凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道2号線から5分

J撮影・訪問時期:2007年04月・2022年05月

  

道案内  

彦根市松原から琵琶湖沿いの県道2号線を進みます。8Km先朝妻の信号を右折します。すぐを右折した先が中島神社で、朝妻の信号の100m先の路地に右折し、200m先北側が朝妻神社です。
 
訪城備忘録

中島神社一帯が城跡とされまが、ごく普通の神社です。強いて言えば、神社横の道路が若干低く堀跡かも。この城は大きな平城だったようです。朝妻集落には遺構はありませんが、北側800m先のの朝妻神社には大きな空堀があります。この空堀は遺構のいう資料はみてないのですけどね・・・。 この朝妻の南側は往時は入江内湖といい、これは彦根城の下まであった松原内湖に繋がってます。朝妻には朝妻湊があって琵琶湖水軍の拠点でしたが、彦根藩は長浜湊、米原湊(入江内湖の中で現在の米原駅周辺)、彦根(松原)湊を開いたため、朝妻湊は衰退しました。入江内湖の出口付近、現在の入江橋付近の琵琶湖側に湊護岸のような石垣があります。なお、入江内湖、松原内湖ともに干拓され、現在は農地、宅地になってます。

中島神社の城跡説明板
歴史

天文年間に新庄蔵人直昌が居城しました。直昌の子・直頼は浅井氏に属しましたが、後に、信長・秀吉に属しました。直頼は天正11年(1583年)に摂津山崎へ移封されたため、朝妻城は廃城になったと考えられます。

   中島神社裏手の水路(堀跡?)      朝妻湊跡の碑
  
朝妻神社      朝妻神社の堀
朝妻湊の古い碑     中島神社の説明板
入江橋そば石垣
入江橋そば石垣

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