近江 / 上坂城



ファイルNo0830

一時は京極氏家臣団で重きを置いた氏族の館跡も今は児童公園

                            

@ こうさかじょう 
  別名  −−−−−

A住所:長浜市西上坂町  
B目標地点:
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地・田畑・公園

F遺構等:
G時代/人物: 室町期/上坂氏 
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  県道から1分

J撮影・訪問時期:2002年10月

  

道案内 

北陸高速道長浜インタを下り、県道37号線を東に進みます。2Km先の西上坂町の県道左手と集落の間にある児童公園が城址です。(東上坂の信号の手前です)

 
訪城記録

今は児童公園となり城跡の面影はありません。茅葺の門がなんとなく城址らしい雰囲気を作り出すのみです。

城址碑
歴史

上坂氏は、室町時代から北近江の守護であった京極氏の有力家臣で、戦国時代には上坂家信,信光が出て、京極氏執権として湖北統治の実権を握りました。しかし、大永三年(1523年)、京極家の内紛により信光は失脚、代わって浅井家が台頭し戦国大名となりました。家信,信光は、代々治部丞を名のりましたが、浅井氏の治世下になると、伊賀守を名乗る上坂氏が史料に表れます。伊賀守意信は浅井家に仕え、天正元年(1573年)の浅井氏滅亡後は、その子正信が秀吉の弟・羽柴秀長の家臣として各地を転戦しました。関ヶ原合戦の際、西軍となり敗れたことで帰農、正信は父意信の弟信濃守貞信から跡識を受け取りました。なお、伊賀守家の相伝文書である「上坂家文書」が、西上坂町共有として現存します。上坂氏は、中世以来江戸時代に至るまで、姉川から取水し北郷里地区を灌漑する「郷里井」の管理者として知られ、姉川上流や右岸の村々との争いに際しては、その代表者としてのぞみました。館跡は土塁と堀に囲まれた複数の城館からなり、今も「いがんど」(伊賀守屋敷)や「しなんど」(信濃守屋敷)の地名や土塁の一部を残す。また、江戸時代の絵図「上坂家文書」)にみえる「丸之内」の跡が、この児童公園である。浅井家家臣の館跡として下坂氏館跡とともに貴重な史跡といえます。 <現地案内板より>


  

近くの城・関連の城:下坂氏館