近江 / 肥田城



ファイルNo0806

水攻めされた城
          土塁と堀   

@ ひだじょう 
  別名

A住所:彦根市肥田町  
B目標地点:肥田町公民館・崇徳寺
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地・田畑

F遺構等:土塁・堀・石碑
G時代/人物: 戦国期/高野瀬氏 
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公民館から5分


J撮影・訪問時期:2003年09月・2015年06月
           2017年12月

  
主郭跡(以前の状況)

【道案内・訪城備忘録】   ←肥田町公民館の位置

近江八幡方面から国道8号線で彦根方面に向かうと、長野北の信号を越えて、1Km先宇曽川を越えてすぐの沢の信号を左折し、県道204号線を進みます。500m先で県道204号線は左折して、再び宇曽川を渡ります。(直進は県道206号線) 橋(高橋)を渡り150m先で県道は右折です。右折して150m右が崇徳寺で隣が公民館です。150m離れた県道沿いに城址碑があり、そこを入って行くと祠の場所にでます。祠周辺が肥田城主郭と伝えられます。また、肥田町に入る宇曽川の橋を渡ると直進の県道には行かないで、堤防沿いに左折し、150m先で堤防を下り、集落はずれ沿いを150m走り先をクランク状に進むと集落沿いに集落外側に土塁と堀が残ります。この土塁は肥田城の城下町の総構の土塁と堀の名残のようです。この土塁と堀は集落内、住吉人神社そばまで続いています。2017年再訪しましたら説明板が新しくなってました。




【歴史】

文亀三年(1503年)に六角氏の命で高野瀬隆重が築城したとされます。秀隆の時には六角氏より浅井氏に加担したため、六角義賢(承禎)に水攻めされています。その後、織田信長に破れ、城には蜂屋頼隆が居城、さらに秀吉政権下では長谷川藤五郎秀一が城主となりますが、慶長期初めに廃城となったようです。


  
城址碑(以前の状況)
  
崇徳寺
       
祠えの入口に移動した城址碑                    肥田の説明板
街中の堀跡(用水路)と土塁の痕跡                     住吉神社側の土塁と堀
整備された祠周囲と説明板  
  
一番明瞭な総構の土塁
肥田町の案内板
城域周囲(公民館から祠を見る)
2017年
一番明瞭な総構の土塁
一番明瞭な総構の土塁
一番明瞭な総構の土塁(屈曲部分)
一番明瞭な総構の土塁(西側)

近くの城・関連の城:高野瀬城