近江 尼子館



ファイルNo803

山陰の雄・尼子氏の発祥の地

       殿城池と説明板

@ あまこやかた 
  別名 尼子城 

A住所:犬上郡甲良町尼子
B目標地点:住泉寺
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:宅地・公園

F遺構等:堀・土塁・説明板
G時代/人物:室町期/尼子氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2001年07月・2017年11月

  

道案内 ←堀跡   ←尼子土塁公園

名神高速彦根インタを下り、原町の信号を右折して国道306号線に入り国道8号線に向かいます。外町の信号で左折し国道8号線に入ります。4Km先が高宮町の信号、そこから2.5Km先が野口町の信号です。野口町の信号を左折し県道227号線に入ります。1.4Km先で東海道新幹線・近江鉄道を越え、700m先の信号で県道13号線を横切り尼子集落に入ります。尼子公民館から150m先の集落内の路地右折し進むと殿城池と呼ばれる堀跡に至ります。また、右折した先のY字を左に入り、すぐを左折し突き当りの住泉寺の右手奥に土塁公園があります。
 
訪城備忘録

堀跡はもう池です。標識と説明板が立っています。昔はもう少し長くつながっていたようです。池は落城時に八千姫が入水自殺し、侍女のお園も跡を追って入水殉死したと伝えられ、祠は八千姫を祀り、池をお園堀と呼ぶそうです。入ってきた路地と尼子公民館の間にもう一本路地がありますが、この路地と殿城池への路地との間くらいが主郭があったところのようです。土塁公園は屈曲した土塁とその外側に堀跡のような小川があります。当時の土塁なんだろうか?? 説明板には平成八年(1996年)竹藪を整備し、修復したものと書かれています。これが当時の土塁なら、住泉寺の鐘突堂が土壇に上にありますが、平地集落に唐突な感じで、こちらの方がよほど土塁(櫓台)の痕跡のように感じます。また、近江鉄道尼子駅と出町の信号の間に尼子集落から行くと左折する路地があります。ここを入ると集落がありますが尼子出屋敷という地区でここにも何らかしら屋敷があったようです。

2001年当時
歴史

京極氏の五代高氏(道誉)の嫡子高秀の四男の高久が犬上郡尼子に入り尼子氏を名乗りました。高久の二男持久は明徳3年、に出雲守護代に任じられ出雲尼子氏の祖となりました。この尼子持久の孫が戦国大名尼子経久です。

殿城池と祠       土塁公園
土塁公園の土塁
  
住泉寺の鐘突堂        土塁公園の土塁と堀
現地案内板より(京極氏・尼子氏系図)

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