近江 / 百済寺



ファイルNo0800

湖東三山のひとつ 信長に焼かれた城郭寺院

                            本坊石垣

@ ひゃくさいじ 
  別名  −−−−−

A住所:東近江市百済寺
     旧:愛知郡愛東町
 
B目標地点:百済寺
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:寺・山林

F遺構等:空堀・土塁・石垣
G時代/人物: −−期/−−氏 
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  駐車場から10分


J撮影・訪問時期:
2001年06月・2016年12月
        (2017年11.12月)

  

道案内 

名神高速道八日市インタより国道421号線で永源寺方面へ進み、御園の信号で左折し国道307号線に入り、1Km先で愛知川を春日橋で渡り、妹南の信号から2Km先の池之尻の信号で右折し県道229号線を進むか、あるいは、池之尻の信号より1.6Km先の中里の信号で右折し、県道28号線を進み、名神高速道を越え、県道229号線をさらに進み、日吉神社・引接寺・喜見院の先が百済寺です。(各所に案内が出ています
 
訪城記録

湖東三山(西明寺、金剛輪寺)のひとつです。他の2寺は国宝ですが、百済寺は織田信長の焼き討ちにあっていることもあり、 建物自体は新しいものです。しかし、石垣や総門付近の土塁・空堀など往時の城塞の面影を残しています。
百済寺も紅葉の名所ですが、近くの東光寺も同様に紅葉の隠れ名所です。城ではないですがご参考に。

仁王門
歴史

創建は湖東三山の中で最も古く、「くだらじ」と呼ばれていました。飛鳥時代、聖徳太子の発願により、百済国の梵閣龍雲寺を模されたとされます。平安時代に天台宗となり、その後、大火があり、戦国期には城塞化されます。天正元年(1573年)に織田信長の焼き討ちによってほとんどが焼失してしまい、平安時代のものは、現在の本尊などの主な仏像や経巻類が残るだけです。現在の本堂・仁王門・山門は、江戸時代前期、井伊氏の寄進によって甲良大工の手で建てられたものでだそうです。

総門
現地案内板より
   総門        駐車場にいた猿
百済寺近く隠れ紅葉名所「東光寺」

近くの城・関連の城: 金剛輪寺