近江 / 上迫城



ファイルNo0796
                           虎口形状 

@ かみはざまじょう 
  別名  −−−−−

A住所:蒲生郡日野町迫  
B目標地点:真龍寺
C形式:山城  D比高:20m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・(土塁)
G時代/人物: 室町期/儀俄氏 
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  姫塚橋から5分


J撮影・訪問時期:2001年11月・2008年05月

  

道案内 

国道307号線を日野町中心部から水口(甲賀市)方面に進み、松尾の信号を過ぎ日田の信号で国道307号線と日野水口グリーンバイパスに分岐、グリーンパイパス側に入ります。3Km先の深山口の信号を越えて、1km先の次の信号で左折します。500m先が県道540号線に合流です。ここで右折した橋が姫塚橋で正面の山が城址です。但し、資料では姫塚橋の100m手前に馬場橋があり、ここを渡って100m先の十字路を左折して、50mほど行った右手丘陵先端の遺構を城跡としています。

訪城コメント

2001年に夕方訪城で、途中断念のままにしていた城跡でした。姫塚橋の袂に駐車して橋を渡るとすぐ左手に姫塚があります。この道の正面の丘陵が城跡です。道は丘陵に沿って左にカーブしていますが、丘陵先端を右手から回り込みます。正面の茶畑の先は丘陵が堀切状にU字切り通しのようになっています。左手に坂道になっていて見るからに平虎口という感じになっています。中に入ると竹が密集していて先に行けませんが、平坦地が確認できます。この城跡の向かいの丘陵にも登ってみましたが、ここにも平坦地があり、もしかしたら当時の郭なのかもしれません。城跡側は竹薮状態でしたので、先の道を丘陵沿いに少し歩き、丘陵がいったん堀切状に切れているところから登ってみましたら、こちらも平坦地があり、堀切状側には土塁状の盛り上げリガ続いていました。どこまで遺構なのか判断できかねます。 さらに、資料から馬場橋の先の丘陵先端が城跡と示してあったので、そこにも登ってみました。丘陵先端は畑、休耕地の三段になっていて、休耕地の尾根側には土塁、その先には堀切状になっていました。地元の方は最初のところが子供の頃から古城と呼んでいたとの事でしたので、上迫城は前者の区域でしょうが、後者もなんらかの施設があったかもしれません。

堀切形状
歴史

儀俄氏の城と伝えられます。

<姫塚>
上迫城が落城した時にこの場所で姫が自害しました。村人は姫を葬りダマの木を植えて姫塚としました。後年大木になったので木を切り真龍寺の薪にしたところ、姫のたたりで寺が全焼し、恐れた村人は再び鎮魂のダマの木を植えました。昭和三十四年の町道改修で姫塚が消滅することとなり、二代目の大木に成長したダマの木を伐りこの石碑を建立しました。<現地案内板より 日野観光協会・南比郡佐公民館>


  姫塚             虎口から堀切を見る

土塁?               城址遠景

もうひとつの遺構

  

下から丘陵先端(畑地)を見る        休耕地(周囲土塁)  
土塁後方の堀切と土橋        土塁を堀切から見る

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