近江 / 嶬峨城



ファイルNo0747

   虎口

@ ぎがじょう 
  別名:山屋敷 備後城 
     儀峨城 上田城 堀田三河守城


A住所:甲賀市水口町嶬峨
   旧:甲賀郡水口町
 
B目標地点:玉泉寺・稲荷神社
C形式:丘城  D比高:30m 
E現況:山林

F遺構等:土塁・堀
G時代/人物: 室町期/儀俄氏? 
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  から15分


J撮影・訪問時期:
2001年09月・2018年05月

  

道案内  

国道1号線で湖南市(旧甲西町)方面から来ると、西名阪という信号の50m先の信号で右折し、甲賀水口中心部に入ります。県道549号線を進み、右折してから900mが水口新町の信号です。その先、水口岡山城の麓を過ぎた新町より1Km先の信号が国道307号線と交差する山川橋の信号です。山川橋の信号から1.7Km先の信号で右折し県道126号線に入り、新岩上橋で野洲川を渡ります。700m先で道は二股になり、県道126号線は右手です(左手は県道528号線です)。分岐点から200m付近で県道はやや左手に曲がりますが、直進していきます。300m先が玉泉寺です。この左手背後上の稲荷神社の左手へ進むと城跡です。(玉泉寺に入る道には獣除けフェンスのゲートがあり、ここから入ります。)
 
訪城備忘録
虎口を郭内より

甲賀典型的な方形城館です。平虎口と主郭を取り巻く分厚い土塁がはっきりと残り、虎口周辺には堀跡も認められます。郭内は藪状態ですが土塁の上は藪は少ないです。


郭内土塁
歴史

儀俄氏は蒲生氏の流れのようで、元久年間(1204〜05年)に儀峨俊光が初代のようです。儀峨氏は甲賀53家に連なる家です。永禄十一年(1568年)に織田信長は六角氏の観音寺城を攻め落としますが、儀峨氏は蒲生氏の流れであり、そのまま所領は安堵されたようでしたが、天正十三年(1585年)に紀伊遠征の失策から豊臣秀吉によって改易されたようです。 その後、江戸初期に堀田外記(三河守)の城館にもなったようです。


虎口全景
虎口左手    虎口右手
背後の土塁
土塁
  

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