道案内 |
名神高速竜王インタを下り、国道477号線を北に向かいます。西横関の信号で右折し国道8号線に入ります。600m先、日野川を越えたところの東川の信号で左折し県道326号線に入ります。4Km先の小船木町の信号で県道2号線(朝鮮人街道)を横切り、2.5Km先の琵琶湖湖畔まで行きます。信号で左折し県道559号線(湖岸道路)に入ります。1.2Km先の右側が旧牧水泳場・牧浄水場、左側が老人ホーム水茎の里で、左側の山が岡山(大山)でここが城跡です。南側の居館部には、琵琶湖湖畔の手前の県道26号線の大房の信号を左折し、水茎町より工場団地側に右折し、突き当たりまで行くと岡山の山麓に至ります。左手側に行くと山中に行ける道がありますが、無断入山禁止になっています。琵琶湖側の頭山の湖畔麓には藤ヶ崎神社があります。
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訪城備忘録 |
城址碑
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この城は、今は陸続きで,以前には近くに牧水泳場(現在は閉鎖)があり、琵琶湖に接する頭山と南の岡山(大山)との間に湖岸道路が通っていますが、往時は完全に琵琶湖の中の浮城だったとの事です。史料では頭山が主郭と書かれたものもあるようですが、大山が主郭のようです。大山には湖岸道路の老人施設水茎の里の横の水道施設への階段(ここに説明板もあるのですが今は判読できないです。1985年頃は読めましたけどね(^_^;) )を登り、山腹(階段左側)の水道施設の裏手をさらに登ります。山頂部には郭が並び、堀切・空堀・竪堀など確認できますが明瞭とは言えない状態です。とにかく、竹薮・藪状態で難儀です。山の南斜面から山麓部分に多くの段郭と空堀があるようですが、無断入山禁止と書いてあり、あきらめました
2015年に再訪しましたが、夏場で草木が生い茂り見学しにくいです。2007年くらいに一度ハイキング道とかを整備されているようですが、訪れる方も少ないせいか木の階段など、以前整備されたものが崩れている箇所が多いです。
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主郭より八幡山を見る
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南北朝期に佐々木氏の支城として築城され、永正五年(1508年)に足利十一代将軍義澄が六角氏の重臣伊庭氏と伊庭氏の家臣九里氏を頼って都より落ち延びて来て岡山城に入った頃より本格的な改修がされたものとの事です。十二代義晴はここで生まれたともされます。六角氏と伊庭・九里両氏との間が悪化し、義澄が永正六年(1509年)に当城で病死して以後、永正十七年(1520年)、ついに六角定頼はこの城を攻め開城させました。後、大永五年(1525年)に伊庭氏・九里氏が再び籠りましたが、六角氏に破れ城も廃城になりました。 <資料より>
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