近江 瀬田城



ファイルNo667
                       2001年当時     

@ せたじょう 
  別名:山岡城

A住所:大津市瀬田橋本町
B目標地点:瀬田唐橋
C形式:平城  D比高:ーーm 
E現況:旅館・宅地

F遺構等:碑・説明板
G時代/人物: 室町期/山岡氏
H満足度:

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2001年01月・2012年5月

  

道案内 

名神高速瀬田西インタからは県道57号線を北に進み神領の信号で左折し(瀬田東インタからは瀬田南の信号で県道2号線に入り1Kmほどで神領の信号に至ります。)瀬田唐橋東詰で瀬田川に沿って左折し県道29号線に入ります。唐橋東詰から200mすぎの左手にマンション(以前は「臨湖庵」という料亭)があり県道沿いに城址碑があります。
 
訪城コメント

城の遺構らしきものは見当たりません。以前は「臨湖庵」という料理旅館が建っていましたが、今は高層マンションになっています。城址碑、説明脾のある後ろのフェンスの内側に石垣が積んであります。マンション建設の際に出た石垣か臨江庵にあった石を積んだのか?、なんとなくモニュメントのようになってます。県道沿いも以前同様の石垣が続いていますが、一際高く積み上げてある箇所の石垣はこれも建設時に出てきたものを積んだんのかなぁ?

瀬田唐橋(城址付近より)
歴史

壬申の乱以後、源平の戦いなどで重要な地点としての瀬田川京都防衛の重要拠点でした。瀬田城を築いたのは甲賀武士の流れを汲む佐々木氏の臣の山岡景房が永享元年(1429年)に築いたとされます。織田信長の命によって瀬田橋を架けた当時の城主山岡美作守景隆は本能寺で信長を討ち安土城に向かう明智光秀と対戦したが、瀬田唐橋を焼き城にも火を放って甲賀へ引き上げ以来廃城となりました。江戸期に膳所藩の別亭となり禅僧天寧が庵をたて「臨江庵」と名付けられました。<現地案内板より>


2012年現状              フェンス内の石垣

  

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