近江/ | 宇佐山城 |
ファイルNo0656 |
森可成討死の城
@ うさやまじょう |
道案内 ←登城口 ←城跡 | |||
浜大津より県道558号線(旧:国道161号線)の柳が崎の信号(琵琶湖競輪場前)の信号で左折し700m先の近江神宮鳥居前でT字交差点になります。これを(県道30号線)左折しその先のクランク状の道を過ぎ川を渡ってすぐ右折し細い道を登ります。400m先で右折し再度川を渡り坂を登ると宇佐山八幡宮です。ここは近江神宮の裏山にあたる山腹です。この宇佐八幡宮から登ります。 |
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訪城備忘録 | |||
宇佐八幡宮の参道横の斜面を登ります。 2009年に近くの小学校の生徒さんが宇佐八幡宮から道案内プレートを設置されましたので道は迷わないと思います。<2021年現在は標識が更新されてます。> 最初は急斜面を登り、途中から右手方向に登ります。途中、出郭のような小さな平坦地を越えます。 城域に入ると大きな竪堀を見る事が出来ます。登城道の左側斜面を二の丸から麓と近くまである大きなものです。道が尾根下の平坦道になると左上を見上げると主郭(本丸)の石垣が見えます。主郭(本丸)跡にはテレビ塔が建っていますが、主郭(本丸)はこの南斜面に規模の大きな石垣が残り、そこから東斜面にかけて石垣が残存しています。主郭(本丸)西側に二の郭(丸)方向に大きな虎口があり、石垣の痕跡もあります。二の郭(丸)面は変な柵に囲まれた平坦地になってます。 二の郭(丸)から来ると左に折れて主郭(本丸)に入るようになってますが。左にしか行けないように直進できないように正面にも石垣が構築されていたようです。また、残存石垣は二の郭(丸)への通路天面下にも残存してます。二の郭(丸)の西斜面、南斜面にも残存石垣が僅かにあり、二の郭(丸)の南斜面下の帯郭をさらに下りたところにもうひとつ規模の大きな石垣が残存しています。主郭(本丸)南斜面の石垣は破城を受けてますが、この二の郭(丸)下帯郭下の石垣は破城の痕跡がありません。 二の郭(丸)の西側段郭に下り、さらに大手道とされる西尾根を進むと竪堀、堀切が残ります。 主郭(本丸)と堀切で隔てた東郭(三の丸)の南斜面にも僅かですが二カ所石垣遺構が認められます。 東郭(三の郭(丸))の北側下の小郭から急斜面を下りて細尾根を進んだ先をもう一度登った先に北出郭群があります。三の郭(丸)からの急斜面を下りると自然地形にも見えますが、堅堀だろうと思われる二条があります。北郭群は頂部郭と段郭が三段程度ありますが、頂部郭はけっこうな広さで三の郭(丸)くらいはあるかもです。段郭もそこそこ広いと感じました。石垣や堀切は無いですが、それなりに城郭を感じました。 城跡は規模の小さい城ですが、歴史に残る城であり、石垣も初期の石垣が見られますので訪城する価値は充分にあります。それから、主郭(本丸)にあるNHKの中継局の建物の西側が少し浮かせて建てられています。その下を覗くと石列の水路跡のようなものや大石が置かれています。これも遺構保護のためのようです。なお、主郭(本丸)、二の郭(丸)の北斜面は急斜面で石垣は無いようです。石垣は敵方を威嚇する見せる石垣の役目もあったんでしょうねぇ。 2021年、東郭(三の丸)の東側が伐採され眺望がよくなりました。宇佐山テラスと名付けられてます。 |
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元亀元年(1570年)、織田信長が森可成に命じ比叡山・浅井朝倉軍への押さえとして築城されました。九月朝倉軍に攻められ、森可成は坂本で戦死しました。元亀二年(1571年)の比叡山焼き討ち後、明智光秀が坂本城を築城し、宇佐山城は廃城になりました。 |
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主要部 |
西尾根遺構(大手道) |
二の郭(丸)南下斜面 |
宇佐山テラス(東郭(三の郭(丸))展望台)からの眺望 |
東郭(三の郭(丸)) |
北出郭群 |
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