岐阜の城14  

                                                                               

羽島高桑城 f4216
説明板

土塁?
慈恩寺の碑
無念塔
A岐阜市柳津町高桑2丁目
 旧:羽島郡柳津町
B善覚寺 慈恩寺
名神高速自動車道の岐阜羽島インタを下り、県道46号線に左折します。約800m先の江吉良町南郷中の信号を右折します。約2km先の竹鼻町蜂尻の信号を左折し県道118号線に入ります。約1km先の竹鼻町飯柄の信号を直進して県道1号線に入ります。約4km先、足近小学校西の信号で道なりで、約300m先の足近町2丁目の信号を左折し県道165号線に入ります。約1.5km先の東小熊の信号を右折します。(県道165号線のまま) 約400m先の東境川橋を渡り、渡ってすぐを右折します。善覚寺の前を通って約400m先右手の説明板があります。

説明板のある道は土手の上なんですが、この説明板の下、薮になってますが、畑があったりするところに一部土塁が残っているのかも知れません。慈恩寺境内に高桑城主高桑一族生誕の碑があり、慈恩寺の北側に高桑氏の後の高桑城の城主の武山氏の無念塔がありました。

C平城
F遺構等:碑・説明板 
G鎌倉期・戦国期/高桑氏・武山氏 
H満足度:凸
諸説はあるようですが、鎌倉初期(1190年代)、高桑氏が築城したとされます。その後、約300年間高桑氏の居城であったようです。室町期以降、高桑氏は土岐氏に従っていましたが。家臣の武山氏は斉藤道三に内通し、大永七年(1527年)、高桑城を奪い、高桑氏は土岐頼純とともに越前一乗谷の朝倉氏を頼って落ち延びたとされます。享禄三年(1530年)、正式に武山氏が高桑城主となりました。永禄十一年(1568年)、織田信忠に攻められ武山一族は自刀、城は落城し、廃城になったようです。


J訪城:2025/07
  
太閤山砦 f4217
八幡神社の碑
八幡神社
A羽島市福寿町間島2丁目
B八幡神社
名神高速自動車道の岐阜羽島インタを下り、岐阜羽島インタ口の信号を左折し県道46号線に入ります。約1.5km先、福寿町浅平3丁目の信号を直進して約2km先、福寿町間島3丁目の信号で左折します。約300m先で道が左カーブとなり約100m先の左手が八幡神社です。

城跡は八幡神社と言うより神社の南側の現在は住宅地、畑地のところが丘陵だった頃に砦があったようです。現在は完全の平地になっていて、神社から南東方向に約100mの畑の生け垣の間に説明板があるようですが、通ったんですが見つけられませんでした。神社にある史跡石碑の「史跡の由来」にも砦について書かれています。

C平城
F遺構等:石碑・(説明板)
G期〜/氏 
H満足度:凸
天正十二年(1584年)、小牧長久手の戦いの際、羽柴(豊臣)秀吉が織田信雄方の不破広綱が籠る竹鼻城を攻める際に築かれたとされます。竹鼻城を水攻めする際の秀吉の本陣であり、監視の砦であったようです。


J訪城:2025/07
   
森部城 f4218 
説明板
金峯神社
A安八郡安八町森部
B森部区公民館・金峯神社
名神高速自動車道の岐阜羽島インタを下り、岐阜羽島インタ口の信号を左折し県道46号線に入ります。約1.5km先、福寿町浅平3丁目の信号を左折し県道18号線に入ります。約1.5km先、羽島大橋東の信号を直進して羽島大橋を渡ります。橋から約400m先の大森の信号を右折し県道219号線に入ります。左手にかつてのS電機岐阜工場の巨大メガソーラーが、工場は解体されましたが、これだけモニュメントのように残ってます。約1.2km先の森部南の信号を右折します。約600m先を左折し、約500m先のT字を右折し、約150m先、新犀川の堤防前で右折すると森部区公民館、奥が金峯神社です。

C平城
F遺構等:説明板 
G期/氏 
H満足度:凸
築城時期、、築城者は定かではないようですが、永禄四年(1561年)、森部の戦いで織田信長に味方した河村久五郎の屋敷とされます。また、奥の金峯神社は羽島本郷城の稲葉佐渡守正成の屋敷跡で下屋敷という字名が残るようです。


J訪城:2025/07
兵どもが夢の跡 今は無きS社の岐阜工場にあったメガソーラー
近くに寄ると巨大なモニュメントだわ・・・。