大塚城+金屋川原合戦碑 3636 |
宇田城+牧田合戦碑・多良街道 3637 | |||||
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A養老郡養老町宇田 B大通寺 名神高速道路の養老ジャクションから東海環状道に入り養老インタで下ります。県道213号線を西に向かいます。約3.2km先の石畑の信号で斜め右の県道96号線に入ります。約500m先、押越南の信号で直進して県道215号線に入ります。約1km先T字交差点で県道は左折です。約600m先、高田西町の信号で県道は斜め右です。約800m先が牧田川の多芸橋で橋を渡り約200m先で名神高速道の高架下で右折し約500m先を左折、約400m先を左折した先の右手が大通寺です。寺の入り口横に説明板と本堂左手に土岐康忠、宇田康任の墓があります。 牧田合戦碑:多芸橋から県道215号線を直進し約1.4km先の中の信号で左折し県道227号線に入ります。約1.2km先の左手に合戦碑があります。碑には丸茂氏奮戦の地と刻まれています。 |
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C平城 F遺構等:説明板・城主墓 G室町期/土岐氏(宇田氏) H満足度:凸 応安年間(1368〜74年)、土岐康忠と子の康任が可児より移り築城したとされます。天文二十二年(1552年)土岐頼芸が大桑城に籠り斉藤道三と戦いますが、宇田氏も土岐方として戦い敗れ、その後衰退したようです。 牧田合戦:大永五年(1525年) 小谷城の浅井亮政と土岐頼芸はここで合戦となりましたが勝負はつかず両者撤退したものです。 |
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J訪城:2020/02 | |||
宇田城 牧田合戦碑 |
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押越城 3638 |
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A養老郡養老町押越 B 名神高速道路の養老ジャクションから東海環状道に入り養老インタで下ります。県道213号線を西に向かいます。約3.2km先の石畑の信号で斜め右の県道96号線に入ります。約500m先、押越南の信号で直進して県道215号線に入ります。約600m先の押越北の信号を左折します。約100m先で左折し、また、約100m先、八幡神社手前で右折します。約200m先を左折しら約50m先右手が正面です。 大きな個人宅です。門構えが城門のようです。今もご子孫がお住まいのようです。城の遺構はないようです。 |
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C平城 F遺構等:なし G室町期/渋谷氏 H満足度:凸 相模の渋谷荘(現在の神奈川県藤沢市長後〜大和市渋谷周辺)の渋谷氏の末裔になるようです。延文四年(1359年)、土岐頼忠に従いこの地に入ったようです。元亀年間までに織田信長に攻められ焼失したようです。 |
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J訪城:2020/02 | ||||
下笠代官屋敷 3639 根古地城+大葉城 3640 | ||
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下笠代官所 A養老郡養老町下笠 B素戔鳴神社・早戸神社 名神高速道路の養老ジャクションから東海環状道に入り養老インタで下ります。県道213号線を東に向かいます。約1km先の下笠中村の信号を右折します。約200m先を右折し約150m先の左側の素戔鳴神社が代官所で石碑は道の反対側の個人宅の隅に立ってます。 根古地城 A養老郡養老町根古地 B天照寺・八幡神社 国道258号線の根古地の信号から南に約200m西側の天照寺周辺が城跡です。 遺構は無いです。 大葉城 A養老郡養老町大場 B西蓮寺 国道258号線の根古地の信号を西に入ります。道なりに約1km先が西蓮寺で、ここの北東側が城であったようです。 |
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下笠代官所 C平城 F遺構等:碑 G江戸期/石原氏 H満足度:凸 幕府直轄地の年貢取り立てなどの代官所が元和元年(1615年)元禄十二年(1699年)まで存在しました。初代が石原一重で四代が石原正利までが代官であったようです。 根古地城 C平城 F遺構等:無し G江戸期/徳永氏 H満足度:凸 関ケ原の戦い後にこの地を領した徳永寿昌、昌重の居城として作られたようです。 大葉城 C平城 F遺構等:無し G戦国期/岡田氏 H満足度:凸 築城時期は不明ですが土岐氏の一族の岡田頼重が城主との事です。 |
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J訪城:2020/02 | |||
下笠代官屋敷 根古地城 大葉城 |