岐阜の城008  

                                                                               

畑館  1086
城主碑

館付近
A高山市江名子町上江名子 B高山厚生病院  C丘城
高山市内の東側で県道462号線沿いで加茂神社、江名子公民館の近くです。県道からみると段丘の上という感じで見えます。今は畑になっていて遺構は無いです。強いて言えば、縦に下っている道路が空堀(堀切)の跡なんかな・・・。北屋敷の跡に真新しい「畑六郎左衛門休高之碑」という石碑が立っていました。

F遺構等:碑  G戦国期/畑氏  H満足度:凸
畑氏は元々武蔵の住人で新田義貞に従っていたようです。その後、室町初期に飛騨に入り三仏寺城に居城したとされるようです。 三仏寺城の項では藤原朝高あるいは藤原安高が城主の時代があるとされていましたが、この藤原安高は畑六郎左衛門安高のことのようですが、定かではありません。 畑氏は天文年間(1532〜54年)に三仏寺城からこの地に移って三木氏に従ったとされます。 この居館は畑太郎右衛門安高の居館とされますが、畑六郎右衛門あるいは畑六郎左衛門の館とも伝わります。
碑は六郎左衛門として建てられたんでしょうね。 天正十三年(1585年)の金森長近の飛騨侵攻時、三木秀秀綱(自綱の子)に従い討死したと伝わるようです。


J訪城:2005/11
  
土城  0423
城址碑
A 飛騨市神岡町土 B  C丘城
飛騨市神岡町の国道41号線と国道471号線の分岐点の信号からさらに国道41号線で富山県県境へ進みます。約10Km先で土のバス停を越えると国道は神通川に沿って左にカーブします。その途中、神通川と跡津川の合流の手前の右手高台に土城の城址碑があります。バス停の先に右に道があり高台の裏手に廻れますがコンクリートで固めた崖で登れそうにないです。


F遺構等:土塁  G戦国期/川上氏  H満足度:凸

江馬氏の重臣の川上氏の居城と伝わります。 城址は一部国道の建設で破壊されているようですが岩山に簡単な段郭があるだけのようです。




J訪城:2003/08