岐阜の城001  

                                                                               

切通陣屋(長森城)  0455
城址碑

② 岐阜市切通6丁目  ③切通観音  ④平城
東海北陸道の岐阜各務原インタを下り、国道21号線を左折し進みます。6Km先岐南インター(高架)で右折し国道156号線に入ります。1.5Km先の長森細畑の信号で右折し県道181号線に入ります。1.4Km先(名鉄各務原線の切通駅近くを越えて80m程行った所)の路地を左に入ると正面に切通観音があります。ここが城跡です。


⑦遺構等:碑・説明板  ⑧南北期~/土岐氏  ⑨満足度:凸

南北朝期に室町期美濃守護初代土岐頼貞の次男で二代守護の頼遠が築城しました。康永元年(興国三、1342年)、頼遠は光厳上皇に不敬を働き誅殺され、頼遠の兄の頼清の子で頼康が美濃三代守護となり、革手城を築城して長森城から移りました。順康が革手へ移った後、美濃守護康行の時に順康の弟である直氏の子の直詮が入りました。江戸期になり、宝永五年(1755年)に安藤信成は加納城主となりますが、翌年に磐城平に移封されますが、後に老中となった信成は享和三年(1803年)に美濃国内に18000石の加増され、それの統治のためここに陣屋を置き、明治まで続きました。


⑪訪城:2004/08
  
革手城(川手城)  0469
城址碑
岐阜市正法寺町~光樹町 ③済美女子高校  ④平城
名古屋から岐阜方面へ国道21号線へ来ると、茜部本郷の信号を右折し国道157号線に入ります。1.5Km先の加納城南通り東の信号を右折し県道1号線に入ります。300m先左手が加納城で、さらに500m進んだ城東通り3の信号を右折して県道14号に入り、300m先の路地に右折して200m進んだ済美女子高校の敷地一帯が城址です。校舎間の路地に城址碑と説明板が立っています。

⑦遺構等:碑・説明板  ⑧鎌倉期~/土岐氏  ⑨満足度:凸

正平年間(1346~70年)、美濃守護土岐氏三代目の土岐頼康が築城したとされます。以後、美濃守護土岐氏の居城して続き、永正六年(1509年)に第十代守護土岐政房が革手から福光(鷺山)に移します。鷺山城の土岐頼芸は、斎藤道三の勧めで大栄七年(1527年)に兄・政頼を攻め、頼芸が第十一代美濃守護となります。頼芸は革手城に入りますが、天文元年(1582年)には長良の枝広に守護所を移したとされます。


⑫ 関連の城・近くの城:大桑城岐阜城加納城一日市場館

⑪訪城:
   
鵜沼城  0451
城跡遠望
② 各務原市鵜沼南町  ④平城

名神高速道小牧インタから来ると国道41号線で犬山方面に進み、犬山市に入るとすぐ陸橋となり、その側道に入ります。陸橋下の五郎丸の信号を左折します。県道27号線を進みます。犬山城の横を過ぎ犬山橋で木曽川を渡ります。渡る時に正面に見える山が鵜沼城です。犬山城と木曽川を挟んで対峙しています。城跡は元はホテルがあったらしく今は潰れていて中には入れません。麓より見上げるとホテル時代の石積みなどが見えますが、遺構は無いようです。


⑦遺構等:なし  ⑧戦国期/大沢氏  ⑨満足度:凸

築城時期・築城者は不明ですが、大沢氏が永享年間(1429~40年)に和泉国より移り住んで築城したとの記録もあります。永禄九年(1566年)に織田信長の美濃侵攻の際に大沢次郎左衛門は秀吉の調停で城を退去したとされますが、永禄七年に信長が伊木山城を築いて鵜沼城を攻めたともされます。その後、廃城となったとされます。


⑫ 関連の城・近くの城:犬山城・伊木山城・猿啄城
⑪訪城:2004/07