道案内 |
名神高速道関ヶ原インタを下り、国道365号を上石津方面に進みます。約2.4Km先の牧野上野の信号で国道は右折となります。約2km先、牧田川を渡った和田橋南の信号を左折、県道227号線に入ります。約13km先の養老公園東の信号の1km手前で右折します。入口に老人特養護施設の看板があります。 約1km、集落の中を進みます。集落が終わったらそのまま直進し山に入ります。約400m先が柏尾廃寺・神明神社です。この100m先に千体仏があり、千体仏の北側斜面を登ります。比高15mほど尾根に上がって左手に進み、尾根を進みます。最初の急斜面を登り、いったん緩斜面になり、再度急斜面を比高で60mほど直登すると城域です。この急斜面、ものすごく石多い斜面です。こぶし大から人の頭くらいの石がゴロゴロしている斜面を登ります。
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訪城備忘録 |
石だらけの急斜面の途中になぜか石積みされた箇所が1か所ありました。なぜにあるのかわかりません。登りきりと東側にやや広い郭があり、西側が削り残しの土塁状になっていてその南側が主郭のようです。主郭背後には幅のある堀切があり東斜面にきれいに堅堀が落ちています。この堀切の背後にも東斜面に落ちる堅堀があります。主郭の西斜面には薄いですが3条ほどの連続堅堀もあります。 城跡には北から南へ登ってきたのですが、城跡の背後の山頂まで行ってみましたが、幅のある東西の尾根、途中に三角点はありましたが、山頂部は楕円形の平坦地というだけで、遺構等はなかったです。
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城域背後の山頂の眺望
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築城時期、築城者は定かではないです。麓の柏尾廃寺にある千体仏のひとつに応永九年(1402年)と刻まれた石仏がある事、彦根氏の龍潭寺に移された柏尾寺の阿弥陀本尊には天文二十三年(1554年)の作である事、永禄五年(1562年)、織田信長に焼き討ちされたと伝わるので、戦国期までは柏尾寺は存在し、柏尾城は山岳寺院によくある付属の城と考えられます。
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