道案内 ←登り口 |
国道41号線の飛騨市神岡町、船津北の信号で国道471号線に曲が船津橋で高原川を渡ると国道は右折で、そのまま国道を進みます。約1.8km先が道の駅「宙ドーム神岡」で、さらに約3km先、麻生野のバス停近くで斜め左に入ります。登りのU字カーブを進み約900m先で左折します。約200m先左折が松ケ丘公園へ向かう道です。この左折の角の右手に「洞城」の標識があります。この左側は沢と伊遠藤になりますが、標識の裏手の民家の小屋と沢の間を通リ民家の裏手に出ます。ここから斜面を比高60mほど登って行くと城跡です。※標識横の林道は登ってはいけません。
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訪城備忘録 |
2019年12月に訪城しようと来たんですが、日没のため断念した城でした。今回も積雪で断念しようか迷ったんですが、比高60mという事で強行しました。^^; 斜面はそんなにきつい斜面ではないですが一応は直登です。ふつうの状態ならなんなくですが、雪が残り滑りまくりました。
まっすぐ登るというじゃなく右へ曲がりながら登るという感じです。上の尾根先端から主郭下まで長方形削平地ですが、傾斜を伴う郭です。 これを登りきると主郭切岸です。その下に堀切があり、両サイドに竪堀として落ちています。左斜面(北側)を行くと主郭の裏側に廻りこみますが、大きな堀切が残ります。これにな堀切です。南側へ廻り込みたかったんですが、積雪で無理であったため、戻り正面から主郭に登りました。
主郭奥、主郭背後の堀切の上に土壇状の高まりが二つあります。これの南側には虎口と思われる開口部があり、周辺は石積み跡のような石がいくつもありました。(積雪でよく見えません) この虎口からスロープ状に下に下りると南の郭です。東西は主郭の二つの堀切から落ちる竪堀に遮断された区域になります。東側は竪堀と郭の間が土塁状でも遮断を強化されているように見えます。しかしながら、こちらの郭も削平は甘い感じはします。
小さいながら城ながら、主郭、主郭の前後の堀切など見る価値ありの城跡でした。
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麓の標柱
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大永年間(1521〜28年)に麻生野直盛が築城したとされます。直盛は江馬時経の子で、麻生野に住して麻生野氏を名乗りました。永禄二年(1559年)に武田氏(飯富昌景)に攻められ、時経、直盛は降伏し武田氏に従ったとされます。永禄七年(1564年)、直盛が死去したため家督は子の慶盛が継ぎました。元亀四年(1573年)、武田信玄が死去すると時経の子の輝盛は、上杉氏に寝返り、武田氏方の洞城を攻め、慶盛は自刀したとされます。
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