美濃 細野城



ファイルNo3564

小規模ながら堀切・土橋が明瞭な城跡

                主郭背後の堀切土橋            

@ ほそのじょう 
  別名  

A住所:岐阜県土岐市鶴里町細野
B目標地点:正福寺
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・説明板
G時代/人物:戦国期/妻木氏?
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寺から20分

J撮影・訪問時期:2019年06月

  

道案内 ←城跡   ←正福寺   ←登り口

中央自動車道の多治見インタを下り、国道248号線に直進します。約2.5km先の平和町5の信号で左折し県道15号線に入ります。約600m先の錦町1の信号で右折し県道13号線に入ります。約16km先、坂下公民館近くのT字交差点で左折し国道363号線に入ります。約8km先で右折します。曲がり角に細野城・正福寺の案内標識があります。道なりで約800m先が正福寺です。正福寺の約200m手前を左折し道なりで約400m先に鶴岡山の登山口があり、ここが城跡への登城口です。城跡まで400mと表示がありますが、もう少しあるような感じはします。
 
訪城備忘録

登城口から最初の尾根まで登ります。尾根に登る箇所が坂虎口のようになってます。しばらく緩い尾根を進み、再度登りを登りきると城域です。先端に堀切、その上が大手郭、さらに堀切があり、主郭の北側になります。主郭は中央に岩盤の仕切り土塁ががあって南北に分かれています。北側郭の西側に登城道が繋がってますが主郭の虎口と表記されてました。ここの見所は主郭南側の堀切と土橋です。不明瞭ですが、主郭側のこちらには土塁があり、食い違い虎口となってます。 堀切は深く竪堀と落ちていて、そこにかかる土橋も含め明瞭です。その先、小郭があり土塁も明瞭でその外側に堀切があります。この堀切もなかなか明瞭でした。最後が搦手郭と表記された郭で、L字形状の郭で東側に土塁があり、最後の堀切があるという構造です。その先は登り道になり、鶴岡山への道ですが、ここを少し登ると平坦地に出て、この周囲には岩割梅や師岩があり、鶴岡山側には切通かもしれませんが堀切状になってます。この平坦地、見張り台にも使える感じはします。師岩は弘法大師の足跡が残るとありましたが、それはないでしょうね^^; 城としては小規模ですが、主郭背後の堀切土橋から搦手郭まではなかなか見応えある城でした。

登り口
歴史

築城時期、築城者は定かではないようです。ただ、天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いの際か、慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いの際に築かれたと考えられるとの事です。 この地は東軍に属した妻木氏の領地で、妻木頼忠は西軍に属した岩村城の田丸直昌と細野の唐沢で戦ったとされます。この城は麓の中馬街道の監視の任に当たったと考えられます。<現地説明板より加筆>

主郭背後の堀切・土橋と主郭の食い違い虎口
        
現地説明板より
麓より城跡
眺望
正福寺に掲示してある現地地図
  
最初の堀切    大手郭
大手郭と主郭の間の堀切
主郭虎口     主郭側から大手郭
主郭北側      眺望
      主郭説明板        主郭南側から仕切土塁(岩盤)
主郭側から虎口、堀切と土橋
主郭側から堀切・土橋
堀切       主郭の南の郭
小郭と土塁      土塁と堀切
堀切
搦め手郭と土塁      搦め手郭南の堀切
城外から搦め手郭の堀切と土橋
 
武者塚       麓より城跡
石割梅      師岩
     平場       堀切(切通?)状

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