美濃 根本城



ファイルNo3563


              中間の堀切              

@ ねもとじょう 
  別名 根本砦 

A住所:多治見市西山町2丁目
B目標地点:
C形式:山城  D比高:80m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁・説明板
G時代/人物:戦国期/若尾氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2019年05月

  

道案内    ←登り口

中央自動車道の多治見インタを下り、国道248号線に右折します。約4km先で側道に入り、高架下を左折します。約600m先を左折し、約200m先をまた左折します。約300m先左手元昌寺で根本11丁目のバス停のところで右折します。約400m先を右折し、約100m先左手に登り口があります。右手は元昌寺の墓地です。

訪城備忘録

元々あった登城口と今は違います。登城道は以前に比べ整備はされましたが少し遠くなったようです。前は根本砦と言われてましたが、今は根本城に修正されています。 城域は南北に二つの郭があり、南の主郭の南の下に段郭があるという簡単な縄張りです。北の郭と南の主郭の間の中間の堀切は深くて明瞭で見応えあります。北の郭の北側には浅い堀切が残り、土橋が残ります。主郭の堀切側には土塁が残ります。主郭の南下に段郭があり、その段郭の西側根元にはわりと明瞭な竪堀があります。主郭・北の郭の東側斜面には連続竪堀があるようですが、下草が多すぎて確認することができません。

登り口の城址碑と説明板
歴史

天文年間(1532〜55年)末頃から天正年間(1573〜92年)初期の間で、武田氏が東濃を侵攻した際に、武田氏の一族の若尾氏が最前線として築城したとされます。天正十年(1582年)、武田氏滅亡後は若尾元昌は森長可に従いましたが、天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いで嫡男の若尾元美が討死した後の若尾氏の動静はわからなくなったようです。

          主郭と土塁       副郭北側の浅い堀切と(手前)土橋
現地説明板より
  
主郭からの眺望
中腹の旗挙げの松
中間の堀切を横から
主郭全体
中間の堀切を上から
副郭北側の浅い堀切と土橋
主郭南下段郭       竪堀

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