道案内 ←登り口 |
中央自動車道恵那インタを下り、県道66号線で国道19号線に出ます。中津川方面へ進み、正家の信号で国道257号線に入ります。約4.5Km先で阿木川大橋を越え、さらに、約7Kmほど進んだ一色の信号を左折します。国道をそのまま約29km先で斜め左手、国道418号線に入ります。約1.9km先左手に本郷公民館があり、その隣に石段があってこれを登ると大船神社の鳥居です。大船神社まではここから4.5kmという表示があります。鳥居から進むとすぐに右手に八幡神社があります。さらに進むと逆V時に坂道になり、尾根先端まで登ります。少し進むとY字になっていて左手は城山神社(800m)、右手は大船神社(4km)の標識があります。城山神社の道と大船神社への道の間の尾根上が城跡です。城山神社への道を300mほど進んで左手に上がるか(これ以上進むと道は城跡のはるか下を進みますので城跡まで登るのがきつくなります)、大船神社の道を進み尾根下の堀切まで行って下がってくるかいずれかになります。
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訪城備忘録 |
城山神社への道を進み右手を見上げるといかにも堀っぽい感じのする所の斜面を登ると箱堀状の堀切に至ります。幅の広い底部で尾根側は5m以上の切岸でそそり立ってる感じです。この堀切の上も堀切側に分厚い土塁が横たわり、尾根側がまた高い切岸の郭になります。下の堀切と形状的にはよく似てます。この上が二郭になります。土塁もないですが幅の広い長い郭です。中間点に石列のある箇所がありましたが、遺構かは?です。 二の郭と主郭の間も深い堀切です。この堀切も箱堀状で幅もあり、深さもある堀切です。ここから長く竪堀が落ちています。主郭は尾根側に土塁があります。この背後に尾根を断ち切る堀切があります。この城跡は郭と堀切が大きくそれなりの守備兵が入れる印象を持ちました。
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登り道分岐点の標識
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築城時期、築城者は定かではないようですが、元亀三年(1572年)、武田氏と徳川氏の戦いである上村合戦がありました。明智遠山景行は家臣の門野氏にこの城をまもらせました。しかし、遠山景行、(串原)遠山右馬助など武田氏家臣秋山虎繁の軍に対峙しましたが敗れ、元亀四年(天正元年)(1573年)、岩村城も秋山氏の手に落ちました。前田砦はその後秋山氏の支城としなり、天正三年(1575年)、秋山虎繁が織田軍に降伏するまでは機能したのではないかと思われます。
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