美濃 小島城



ファイルNo01294

土岐氏三代頼康の城として有名

                             主郭後方の堀切と土橋   

@ おじまじょう 
  別名 上狩宇城

A住所:揖斐郡揖斐川町春日六合
   旧:揖斐郡春日村 

B目標地点:上臈谷菩薩公園 
C形式:山城  D比高:170m
      (県道から比高250m)
E現況:山林・公園 

F遺構等:郭・堀・堀切・竪堀・石積み・土塁・説明板 
G時代/人物:鎌倉?〜室町期/土岐氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  公園から10分<比高100m>
J撮影・訪問時期:2006年03月

  
大手筋虎口付近

【道案内】 

大垣市内の国道21号線の河間の信号で右折し国道417号線を進みます。国道417号線を道なりに進み13Km先、揖斐川の岡島橋手前300mの下岡島の信号を左折し県道32号線に入ります。2.5Km先の市場の信号を直進し旧春日村に向かいます。2.5Km先の樫村のバス停手前で右折し(小島城の標識有り)、樫の集落を越えて根尾谷に入るか、バス停より県道を300mほど進んだ先の小さな橋を渡ってすぐのところで右折し根尾谷沿いに入ります。集落から来ると谷にある橋のところを直進(県道の橋から来ると橋を渡って左折)し道なりに大きく逆U状に山道を登ります。1Km先で菩薩公園、小島城への登城道入口があり、徒歩ではここから登りますが、さらに進み、茶畑を越えた辺りで逆V状に右折したら上臈谷菩薩公園用の駐車場になります。駐車場より300mほど歩くと上臈谷菩薩公園となり、岩上菩薩、小島山名水などがあります。ここの名水の北側の小屋の裏手より主郭への道があります。(途中、道が荒れたりしていますので注意ください。)



【現況・訪城記録】

小島城は小島山から派生する尾根のひとつのピークを主郭とし、そこを頂点として三角形状に比高約100mの間に数十の郭が点在します。小島山からすると中腹に城の主郭がある感じです。西側の駐車場より歩いてきて、途中、下からの登城道と合流する場所は大きな竪堀状のところになります。自然地形に手が加えられた竪堀でしょう。さらに行くと公園に到着、入口に小島城の説明板があります。公園東側(道の左手山側)にプレハブ小屋があり、この裏手より登ります。登り出した各郭には教育委員会にて付けられた「曲輪A**」というようなプレートが下げられています。この道は大手筋のようで左手には段郭が続き、右手は急崖で、竪堀が何本か認められます。城跡は整備はされていないため、藪状態で、見通しは悪いです。主郭も同様で背後の大堀切と明瞭な土橋がなかったら どんどん山を登ってしまいそうです。主郭一段下西側(二の郭相当)の郭には桝形虎口状の箇所があり、石積みの痕跡らしきものもあります。この付近から先ほどの大竪堀が始まっているみたいです。また、西側方向にも二条の竪堀が確認できます。全体的には技巧的な城郭というより、屋敷群の大きな集合体という感じの城でした。なお、小島頓宮はこの小島城のそばの茶畑のところ、瑞岩寺のところ(小島頓宮の碑があります)、あるいは、白樫城の麓(小島頓宮御舊の碑があります。)にあったとされ、定かではないようです。


【歴史】

築城時期、築城者は定かではないようです。正和年間(1312〜16年)に南朝方の西尾右京亮、堀部太郎兵衛尉が在城したとされます。延元二年<建武四年>(1337年)に土岐氏三代の頼康が改修し、以後五十年間の土岐氏の拠点となりました。文和二年(1353年)6月には、北朝四代の後光巌天皇が京都の戦火を逃れ、足利義詮・土岐頼康らが警護し、ここに行幸され、小島頓宮に入られたとされます。9月には鎌倉より進んできた足利尊氏と合流され京都に還幸されたとされます。明徳元年(1390年)、頼康の養子である康行の時に、幕命を受けた京極高秀らの攻撃を受け落城し廃城となったとされます。 <現地案内板より>

  
竪堀
  
山中の段郭のひとつ
  
  

近くの城・関連の城:

            

現地案内板より