美濃/ 白樫城



ファイルNo1292

春日局(お福)誕生の城とされます。

         城跡遠景   

@ しらかしじょう 
  別名 

A住所:揖斐郡揖斐川町白樫 
B目標地点:白樫公民館・八王子神社
C形式:山城  D比高:200m 
E現況:山林 

F遺構等: 
G時代/人物:戦国期/斎藤氏
H満足度: 途中断念
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  −−−

J撮影・訪問時期:2006年03月

城跡遠景(民家の屋根上に見える手前の尾根ピークが城跡のようです。その後方、右は白樫山そしてその稜線です。)

  
登城口の碑

【道案内】 

大垣市内の国道21号線の河間の信号で右折し国道417号線を進みます。国道417号線を道なりに進み13Km先、揖斐川の岡島橋手前300mの下岡島の信号を左折し県道32号線に入ります。2.5Km先の市場の信号を右折し1Kmほどで白樫地区でこの辺から「小島頓宮・白樫城」の案内標識がいたるところにありますので、それに従います。



【訪城備忘録】

市場の信号から白樫地区に入ると、至る所に「小島頓宮・白樫城」の案内があります。白樫の公民館に説明板と登城口の石碑があります。地元の方、お二人に訪ねましたが、お二人とも「道は無い、何も残っていないよ」と強く止められました。まぁ、いつもの事だと思いましたが、どうもここの城は昔、土砂崩れで本当に何も無いらしいです。ただ、小島頓宮御舊跡の碑のある神社の北側から林道があります。(城主の墓に行く道より上にある道) ここに入り、少し行くと林道が二股に分かれますので、逆V字に左折して進む林道で中腹までは行けるらしいです。(訪城時は林道が工事で全面通行止めでしたので進入はしてみていません。) または、登城口の碑から山側に歩いていくと「大威徳神社跡」があり、ここの右手に階段がついています。ここから神社跡を通って林道まで出て先には進むことができるようです。私は林道を右手側に行き、「斎藤天神社跡」のところからままよと山に入ってみました。これが大きな間違いで、急斜面をなんと自分の高度計では比高500mも違った山を直登してしまいました。往復4時間も山中を彷徨いましたが、どうも上の写真の右手の白樫山に登ってしまったようです。くやしいですので、その写真を下に置きます(笑) ただ、200mほど登ったら下の写真のように長大な三本の竪堀形状に誘われ、そこからさらに200m以上登ってしまい、山頂まで来ると塹壕道のようなくねくねした空堀形状や崖側に大きな竪土塁形状が続いていました。しかし、平坦地はなく、肝心の稜線を切る堀切も無く、城ではないでしょうなぁ(泣)  

なお、近くには春日公園や白樫居館跡(説明板があるようです)、関が原の戦いで敗れた宇喜多秀家が40日間ほど匿われた矢野家などもあるようですが私は行きそびれました^^;。

【歴史】

延徳二年(1490年)に斎藤利安が築城し、二代利賢、三代利三と続き、天正十年(1582年)に利三が討死するまで続きました。なお、天正七年(1579年)に春日局(お福)がここで生まれたとされます。

  
  
斎藤天神社址の碑
  
大威徳神社址の碑
  
  

近くの城・関連の城:

          

小島頓宮御舊跡の碑           城主三代の墓
地形に誘われてひたすら城跡で無い山を登ってしまいました。過去最悪の比高500mという新記録での間違いでした^^;
山中の斜面、竪堀状の箇所
山頂手前の土塁風箇所と塹壕風の箇所
山頂付近の堀状箇所