美濃/ 鉈尾山



ファイルNo1034

            大手側(主郭の南下)三の曲輪の石垣

@ なたおやまじょう 
  別名  上有知城

A住所:美濃市曽代〜古城山
B目標地点:美濃市運動公園
C形式:山城  D比高:317m
    (運動公園より250m程度)
E現況:山林

F遺構等:石垣・土塁・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/佐藤氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  運動公園より40分

J撮影・訪問時期:2005年09月

  

道案内  

東海北陸高速道美濃インタで下り、県道94号線を右折し、すぐの下松森の信号を左折して国道156号線に入り、郡上方面に進みます。2Km先の泉町の信号で国道は左折で、そこより700m先で美濃警察署を越えたところで斜め右折し美濃運動公園に向かいます。(あるいは曽代の信号を右折し、次を左折) 運動公園に入るとグランド手前右に古城山の案内板があります。そこを右手に進むと大手道側の登山口に至ります。 まっすぐ行った車止めのところから入ると搦め手側からの登山口です。
 
訪城備忘録
現地案内板より

私は搦め手側から登りました。車止めからテニスコートを左手、グランドを右手に見ながら山に向かいます。山の注意書きの案内板に「熊出没注意」の看板、さらに、山道に入ってすぐに蛇君に遭遇してひるみましたが、とにかく登るしかないと熊鈴を鳴らし大声を上げながらの登りです。比高300mですので時間にして40分程度、距離にして1.8Kmです。ハイキングコースになっていて、木の階段が付いていますので道には迷わないでしょう。山頂が主郭ですが夏草が茂り見通せませんでしたが、主郭の大きさは20m*30m程度です。この主郭の南北に郭が連なります。主郭南側(大手側)の郭にわりとはっきりした石垣が残ります。主郭下周囲にも石垣が残るようですが、夏場はやぶ状態で確認できませんでした。主郭北側(搦め手側)に細長い郭があり、その先端にも石垣の痕跡が残り、また、さらにその下の郭に土塁が残りますが、遺構は登山道で改変されているようで相当に崩れていました。

主郭の城址碑
歴史

天文年間から永禄年間にかけて佐藤六左衛門尉によって築かれたようです。続いて六左衛門秀方が継ぎました。秀方は金森長近の娘婿で、長近の飛騨侵攻の際に応援として荻原諏訪城にも在城しました。秀方が文禄三年(1594年)に没した後は才次郎方政が継ぎますが、慶長五年(1600年)の関が原の戦いで西軍に属したことで改易され城は廃城となりました。

搦め手側郭(主郭の北側)の石垣痕跡  搦め手側の土塁    
主郭北側の細長い郭  長良川方面(中央の小山が小倉山)
  

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