美濃 | 鉈尾山城 |
ファイルNo1034 |
@ なたおやまじょう 別名 上有知城(こうずち) A住所:美濃市曽代〜古城山 B目標地点:美濃市運動公園 C形式:山城 D比高:320m E現況:山林 F遺構等:郭・石塁・土塁・碑・説明板 G時代/人物: 戦国期/佐藤氏 H満足度: 凸凸 I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間: 運動公園より50分(1.7km) J撮影・訪問時期:2005年09月・2024年06月 |
道案内 ←登り口 | |||
東海北陸高速道美濃インタで下り、県道94号線を右折し、すぐの下松森の信号を左折して国道156号線に入り、郡上方面に進みます。2Km先の泉町の信号で国道は左折で、そこより700m先で美濃警察署を越えたところで斜め右折し美濃運動公園に向かいます。(あるいは曽代の信号を右折し、次を左折) 運動公園に入るとグランド手前右に古城山の案内板があります。体育館付近に車を停め、弓道場の横の道を下りると左手はテニスコート、正面に登り口の標識があり、右手に入っていきます、ここから比高約310m、距離1.7kmです。 まずは谷筋を進んで少し登り、古城山林道を横切って上に進むと搦め手道の登り道、林道の上で右手方向へ進む山道は大手道側の登り道になります。 搦め手側は距離は若干短いですが、ほぼ木の階段が続く急な山道です。特にあと山頂まであと200mの標識から城域に入るまでの階段がきつかったです。(200m以上ある^^;) 大手道は二つ目の東屋までは普通の山道です。二つ目の東屋(不動の岩のそば)から尾根まで急な木の階段が続きます。尾根に登っても城域まで尾根道をけっこう歩きます。搦め手は急で息は上がりますが、大手道側は長く感じました。 |
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訪城備忘録 | |||
私は搦め手側から登りました。車止めからテニスコートを左手、グランドを右手に見ながら山に向かいます。比高310mですので時間にして50分程度、距離にして1.7Kmです。ハイキングコースになっていて、木の階段が付いていますので道には迷わないでしょう。山頂が主郭ですが、以前は夏草が茂り見通せませんでしたが、主郭の相当に広いです。2024年現在では伐採が進み、広い主郭が見渡せます。城址碑には「美濃〇佐藤〇次郎城址」とありますが、佐藤と城址以外は潰されており、二文字が読めません。才次郎に見えますので、佐藤氏三代の才次郎方政の名のようです。この主郭の南北に郭が連なります。主郭南側(大手側)の郭にわりとはっきりした石塁が残ります。主郭下周囲にも石塁が残るようですが確認しませんでした。主郭北側(搦め手側)に細長い郭があり、その先端にも石垣の痕跡が残り、また、さらにその下の郭に土塁が残りますが、遺構は登山道で改変されているようで相当に崩れていました。 2024年06月に再訪しました。主郭周囲は伐採が進み相当にきれいになってました。大手側石塁や搦め手側の郭も石塁痕跡は見やすくなってました。さらに主郭東下の帯郭も伐採がされて見やすくなってましたが、足を踏み入れると伐採された木々の枝がそのままのため非常に歩きにくいです。(笑) この城は鉈一丁で敵を防げるので鉈尾山城と言うらしいです。主郭両サイドの尾根以外は相当の急斜面でとても斜面を直登出来るような山では無いです。そういう山ですからでしょうか、明瞭な堀切や堅堀は無いです。大手側石塁そばに自然地形でしょうけど、超急斜面な堅堀状が長く落ちていました。今はハイキング道が整備されてますから登れますが、それでも相当にきつかったですわ^^;(笑) |
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天文年間から永禄年間にかけて佐藤六左衛門尉によって築かれたようです。続いて六左衛門秀方が継ぎました。秀方は金森長近の娘婿で、長近の飛騨侵攻の際に応援として荻原諏訪城にも在城しました。秀方が文禄三年(1594年)に没した後は才次郎方政が継ぎますが、慶長五年(1600年)の関が原の戦いで西軍に属したことで改易され城は廃城となりました。 |
搦め手登り道 |
大手登り道 |
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