美濃/ 池田本郷



ファイルNo0494


    城跡

@ ほんごうじょう 
  別名  −−−−−

A住所:揖斐郡池田町本郷  
B目標地点:光慶寺
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:田畑・公園・宅地

F遺構等:櫓台・碑・説明板
G時代/人物: 南北朝期/土岐氏 
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分


J撮影・訪問時期:
2004年07月・2020年11月

  

道案内  

大垣市内の国道21号線の河間の信号で右折し国道417号線を進みます。国道417号線を道なりに進み10Km先、池田町本郷北の信号で左折し、光慶寺裏手に小公園があり、ここが城跡です。
 
訪城備忘録
馬乗石

僅かに土塁・櫓台の痕跡と思われる土壇が残ります。


櫓台上の城址碑
歴史

南北朝期に土岐頼忠が築城したと伝わります。子の頼益は尾張に移り、その後、応仁・文明年間初期に国枝為助が居城としました。明応四年(1495年)に斉藤利国と戦い討死しました。国枝政盛は関ヶ原の戦いで西軍に属したため東軍に攻められ廃城となったようです。なお、この城は稲葉良通(一鉄)の生誕地とされます。一鉄は国枝正助の娘が母で、この城で生まれたと伝わります。

土檀上の城址碑
土壇
 3686 太郎ケ城 
@ たろうがじょう 

A住所:揖斐郡池田町本郷  
B目標地点:温知小
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:学校

F遺構等:碑
G時代/人物: 南北朝期/国枝氏 
H満足度:

I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分


J撮影・訪問時期:
2020年11月
小学校の裏手の路地に城址碑のみがあり、遺構はありません。近くの龍徳寺には国枝為助初め、国枝氏一族の墓地があります。
応仁文明年間(1467〜86年)頃、国枝為助が安八郡(現神戸町)田村からここに移り築城したとされます。その後、本郷城に移ったか双方を維持したようです。為助は国枝氏三代、池田国枝氏としては初代にあんり、為助の後は 宗龍ー重光ー重元ー重高と続きますが、重高が早世したため、叔父の正盛が家督を継いで関ヶ原の戦いで西軍に付き、国枝氏は没落したようです。

近くの城・関連の城:清水城 曽根城