美濃 揖斐城



ファイルNo0490


             北の丸と搦め手郭の間の堀切           

@ いびじょう 
  別名 

A住所: 揖斐郡揖斐川町三輪
B目標地点:城台山公園
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:堀切・竪堀・切岸・井戸・碑・説明板
G時代/人物: 南北朝期/揖斐氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  15分


J撮影・訪問時期:
2004年06月・2023年09月
 (2020年11月・2023年07月)

  

道案内    ←徒歩登り口

大垣市内の国道21号線の河間の信号で右折し国道417号線を進みます。国道417号線を道なりに進み14Km先、揖斐川を越えた先の上新町の信号で国道303号線を越え、かつ旧道(県道251号線)を横切り、信号から300m先の揖斐小学校まで行きます。小学校の西隣に三輪神社がありここの裏手より一心寺を経由して城台山山頂まで登山道があります。(揖斐小学校裏手より一心寺までの車道もあるようです。)


訪城備忘録

三輪神社から一心寺を経由して尾根道を進みます。一心寺にも小さな城址碑があります。

城跡は草刈され夏場でありながら見やすい状態でした。城跡は南の丸ー主郭ー二の丸ー三の丸ー出丸と連郭に山頂部にL字状に続きます。各郭には土塁はありませんが、主要箇所に堀切・竪堀が入ります。主郭には不明瞭ですが、桝形虎口になっています。主郭の二の丸側下には説明板には長い竪堀と表現されてますが、尾根上は、端に土橋のある片堀切で、その先斜面に長く落ちているという感じです。

二の丸を過ぎたところの尾根上(三の丸の手前)が大手門と表現されていました。出丸の切岸の高さは非常に高く、最高地であり、出丸の西下は「切通」と表現されてますが、この斜面にも竪堀がありました。いかにも防御施設という感じが今も残ります。出丸の先は北の丸、絡め手郭とあり、その間と城域端に大きな堀切となってますが、やや緩い感じの堀切でした。

二の丸下にある井戸は山城の山中としてはとても大きく、今も水が満々に満ちています。

歴史
本丸の城址碑

興国四年<南朝暦>(1343年)に土岐頼清の子の頼雄によって築城され、頼雄は揖斐氏を名乗りました。五代続き、五代の基信は美濃守護土岐政房の子の光親を養子としますが、天文十六年(1547年)に斉藤道三は大桑城の土岐氏を攻めた後、揖斐城も攻撃し落城、廃城となったとされます。

本丸下片堀切と土橋を横から     井戸           
現地説明板より
長源寺駐車場より揖斐城遠望
本丸よりの眺望
  
南の丸下の段郭を下より   堀切痕に見える
南の丸を下の郭から見る
南の丸を下の郭から見る
南の丸
主郭
主郭
主郭枡方虎口 
主郭枡方虎口 
 主郭枡方虎口 
主郭枡方虎口 正面の大石は鏡石かな?
主郭枡方虎口を下から
主郭下の片堀切
主郭下の片堀切
主郭下の片堀切と土塁を横から
主郭下の片堀切の土橋
         説明板      主郭下の片堀切を上から
二の丸
大手郭・奥は三の丸
三の丸と正面は出丸
出丸の切岸
出丸
出丸からの眺望
  出丸西下(案内板には切通とある)
出丸西下と堅堀
北の丸
北の丸から出丸の切岸、手前は堀切痕
北の丸と搦め手郭の間の堀切(幅はあるけど甘い傾斜)
北の丸と搦め手郭の間の堀切
搦め手郭
搦め手郭から城域端を見る
城域端の堀切(尾根の鞍部という感じ)
二の丸南下にある井戸(岩盤の井戸、大きい)
二の丸南下にある井戸
現地案内板
2004年訪城時
観音様下の城址碑     本丸の枡方虎口
三の丸の尾根      堀切    

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