道案内 ←登城口 |
名神高速道小牧インタから来ると国道41号線で犬山方面に進み、犬山市に入るとすぐ陸橋となり、その側道に入ります。陸橋下の五郎丸の信号を左折します。県道27号線を進みます。犬山城の横を過ぎ犬山橋で木曽川を渡ります。橋から1Km先鵜沼東町の信号で右折し国道21号線に入ります。約6Km先の勝山西の信号で左折し県道345号線に入ります。900m先で斜め戻りように右折し400m先の左手の覚専寺まで行きます。覚専寺過ぎたところの路地へ右折し200m先で川を渡ります。川の手前に石碑があり、川向こうの右手が居館跡です。さらに400m先まで谷間を進むと猿啄城の駐車場があり説明板が設置してあります。
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訪城備忘録 |
駐車場から少し先に歩くと駐車場とは反対側に小さな橋で川を渡る箇所があります。渡りますと神社らしき建物がありここより登山道が続いています。比高200mをしっかり登ります。山頂の主郭には櫓風の展望台があり、ここでスタンプを押して坂祝町役場にもって行ったら登城記念バッチがもらえるらしいです。(私はもらいに行かなかったですが・・・。) 山頂は比高があるのみで20m四方もありますか?狭い空間です。しかし、展望台よりの眺望は気持ちがいいくらい遠望ができます。西側は犬山城方面、東側は可児方面が遠くまで望めます。登山道とは反対側へ下りると主郭下に石垣が残っています。その先は堀切のようですが不明瞭な窪みです。さらに先には郭があったのでしょうか?私には自然地形に見えます。
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麓の碑(居館跡付近)
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応永十四年(1407年)、西村豊前守善政の居城であったとされますが、嘉吉元年(1441年)に田原頼吉に攻められ落城したとされます。享禄三年(1530年)頃は田原左衛門が城主で、天文十六年(1547年)には一族の多治見修理が城を奪い居城しました。永禄八年(1565年)に織田信長は丹羽長秀に攻撃させ、その先鋒の河尻鎮吉が落とし、信長はこの城を勝山城と改めさせ鎮吉を勝山城主としますが、天正三年(1575年)に岩村城に移ったため、猿啄城(勝山城)は廃城になりました。 <現地案内板より>
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