道案内 |
長野高速道豊科インタを下り、県道310号線を1.2Km進み、光橋西の信号を左折し県道435号線に入り1.6Km先の新田北の信号で右折し国道147号線を進みます。3Km先穂高の信号の先で左折し県道308号線に入り、JR大糸線を越え富田橋を越えます。2.6Km先の安曇野ジャンセン美術館前で右折し県道327号線に入り、新穂高温泉を目指しますが、右折して700mほど進んだ左手に城跡入口はあります。
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訪城備忘録 |
主郭虎口
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穂高の山すそに静に眠るといった感の城です。城跡は城址公園として整備をされており、模擬城門・物見櫓も作られています(但し、案内板にもかかれてますが時代は違うイメージとしてと模擬です。しかし、雰囲気を損なわないように配慮されています。また、模擬櫓のところは主郭の左手高台にありますが、ここは藪状態でいけませんでした。)模擬城門から主郭に進みますと道の両側に相当に広い段郭が左手に3段・右手に2段ほどあります。1郭が幅30m・長さ100mほどあるでしょうか 主郭直前は空堀があり切岸3mほど上に主郭があります。主郭後方より城山頂上への道があります。頂上には見張り程度の郭があるようですが、行きませんでした。全体的には縄張りを駆使する城郭というよりは武士団の屋敷群跡という感じで上田の塩田城の居館部みたいな感じです。
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段郭(南二の郭)跡
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中世古厩郷の領主古厩氏の宿城と考えられています、城域は、今の小岩岳集落も含めた広範囲とされ、現在も集落内には空堀の一部と地割が見られます。また、本郭は約1平方キロメートル、その平は南北138m、東西40m、北に天満沢、南に富士尾沢と空堀を控えた自然の要害です。全面に三段の郭、山頂に至る間にいくつかの帯郭・堀切を設け、水源もあり矢竹も自生し、峯の物見は安曇野を一望できます。天文二十年(1551年)10月に武田晴信(信玄)に攻められ、翌天文二十一年(1552年)8月に再度攻撃を受け落城しました。 <ほぼ現地案内板通り転記 穂高教育委員会>
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