信濃 霞城



ファイルNo3779


             主郭下石垣               

@ かすみじょう 
  別名 大室城 

A住所:長野市松代町大室
B目標地点:永福寺
C形式:山城  D比高:60m 
E現況:山林

F遺構等:郭・石垣・堀切・説明板
G時代/人物:戦国期/大室氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  20分

J撮影・訪問時期:2021年12月

  

道案内      ←登城口 永福寺

上信越高速道長野インタを下り、県道35号線へ左折し約500m先、長野インタ南の信号で左折し国道403号線に入ります。約5km先、大室入口のY字信号を右手に入り大室集落に入ります。約900m、集落内を進んだとろで右折します。約50m先右手が大室公民館です。そこから約100m先を右折し約100m先正面が登城口(標識有)です。右手奥が寺で、この登城口周辺で車は停められます。

訪城備忘録

約20年前、霞城やと思い込んで登っていたんが古城山城であったことを最近知りました。(笑) そうしたらこの城へのリベンジチャンスが到来したので登って見ました。この城、敵に攻められそうになると霞が城を隠すため霞城と呼ばれるようです。

寺側から登ると巨石のそばを通って尾根まで登ります。尾根を南へ進むと薄い堀切を越えると右手に大きな石垣が残ります。その上が主郭で右側主郭の西と南のL字空間が二の郭、二の郭の西下が三の郭でしょうか。それぞれ切岸に石積みがあります。信州独特の平たい石垣でした。

やっと来れましたと言う感覚ですが、石門側へ下りていないので途中の石門石垣・立石を見ていません。あ〜 またなんと中途半端な・・・^^;

主郭
歴史

小笠原長清の三代後の時光が鎌倉後期にこの地で大室氏を名乗ったようです。武田氏に従っていたようですが、天正十年(1582年)、武田氏が滅びると織田信長の家臣の森可成に従いますが、信長が本能寺の変で横死すると上杉氏に従い、上杉景勝が慶長三年(1598年)、会津に転封となったため会津に同行し霞城は廃城になったとされます。

二の郭西下石垣     主郭東下石垣
二の郭からの眺望
  
巨石の登り道
尾根に登った北側尾根(黄色い線は堀切)
主郭北下
二の郭西側
二の郭南側
二の郭西側
二の郭西下郭石垣
二の郭西下郭石垣
主郭
二の郭南下石垣
二の郭南下石垣
古城山城 0401   

A住所: 長野市松代町若穂川田 C形式:山城  D比高:80m  E現況:畑地・山林
F遺構等:(郭・堀切・竪堀)・標識
G時代/人物: 戦国期(天文年間)/川田氏  H満足度: 途中断念
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:10分  J撮影・訪問時期:2002年01月

上信越高速長野インタより国道403号線を北上し長野電鉄屋代線おおむろ駅横を通過、関崎橋の横を通過した先のバス停のところを右折し町川田神社を東に100mほど過ぎた右手より登ります。

霞城山と思って相当歩きましたが、隣の山でした。それも途中までしか行ってなくて山頂までは登ってません。写真の石垣にしても古墳か何かのもののようです。城域には何条かの堀切・竪堀が連続してあるようです。

登り口の標識       尾根上の石積み
2002年の尾根からの眺望
2002年の尾根からの眺望
霞城登城道から古城山城の遠景 (2021年)
麓から城跡遠望 (2021年)

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