信濃 横山城



ファイルNo3992


              石段下から本殿(切岸)              

@ よこやまじょう 
  別名  

A住所:長野市箱清水1丁目3
B目標地点:彦神別神社・城山公園(県立美術館)・善光寺
C形式:平山城  D比高:40m 
E現況:神社

F遺構等:郭・土塁・堀切?
G時代/人物:南北朝期/ーー氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  善光寺から徒歩15分

J撮影・訪問時期:2023年12月

  

道案内 

上信越自動車道の須坂長野東インタを下り、須坂長野東インタ入口の信号を左折し国道403号線に入り、すぐの信号を直進して県道58号線に入ります。約5km先、南長池の信号を右折し県道375号線に入ります。約1.6km先、運動公園南入口の信号を左折し国道18号線に入り、すぐの東和田のY字信号斜め右手の国道406号線に入ります。約3.5km先の田町西の信号で右折します。約1km先で逆Vで左折し登り坂を登ります。約250m先の右手が彦神彦神社で、ここが城跡です。 

訪城備忘録

訪城時、車ではなく長野駅からバスで善光寺まで行って、善光寺から徒歩で城跡まで行きました。城跡は現在神社になっていて、下の段と上の段に分かれ、上の段に神社本殿があり、本殿裏手に土塁の痕跡のような高まりがあります。神社南側は切通のように道路がありんですが、これは往時は堀切だったんだろうかとも思います。神社の道路挟んで反対側に城山公民館があり、ここの入口に説明板が設置してあったようですが、見落としました。遺構的にはほぼ消滅しているという感じですね。

鳥居
歴史

築城者は不明で、南北朝期に築城されたと考えられるようです。南北朝期は幕府・守護と信濃豪族との争いの場になっていたようです。戦国期に入り、信濃の制圧を目指す武田信玄に抗する信濃豪族のひとりの小田切氏の家臣に横山氏の名があり、ここが居城であったようです。信玄と上杉謙信の信濃をめぐる戦いの川中島合戦の中で、天文二十四年<弘治元年>(1555年)の第二次川中島の戦いでは上杉謙信はこの城を本陣としたようです。その後、善光寺平を制圧した信玄はこの地に佐久の相木昌朝を入れ、善光寺平を管理させたようです。

本殿裏手土塁      鳥居前の道(堀切?)
下の段から本殿の段差(切岸)
下の段から全景
善光寺
山門(江戸期・重要文化財)
本堂(江戸期・国宝)
本堂
本堂
仁王門(大正時代再建)
善光寺から大峰城遠望
篠ノ井線の車窓から善光寺平遠望

近くの城・関連の城: