信濃 大堀館
町田氏屋敷



ファイルNo3778


                            

@ おおぼりやかた 
  別名 

A住所:長野市青木島大塚
B目標地点:更北中
C形式:平城  D比高:ーm 
E現況:中学校

F遺構等:碑・説明板
G時代/人物:南北朝期/町田氏
H満足度:
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2021年12月

  

道案内 ←大堀館  

上信越自動車道の長野インタを下り、長野インタの信号を右折し県道35号線に入ります。約2.5km先、古戦場入口の信号を右折し国道18号線に入ります。約1.6km先の不動寺の信号で斜め左に入ります。道なりに約400m先が更北中の正門でここに碑と説明板があります。

訪城備忘録

遺構はありません。碑と説明板があるのみです。大きな堀に囲まれていたから大堀という名がついたようです。戦後すぐまでは土塁も堀も残っていたそうで、規模は1辺60mくらい、土塁の高さが5m弱、堀の幅は7m強あったようです。

長徳寺
歴史

南北朝期に町田氏が築城したようで、代々町田氏の居館であったようです。天文二十四年<弘治元年>(1555年)の第二次川中島の戦いでは、武田信玄の本陣がここに置かれたと伝わります。町田氏は武田氏が滅亡した天正十年(1582年)以降に帰農したようです。帰農後はこの館は使われず、北に屋敷を構えたようです。

町田氏屋敷

@ まちだしやしき A住所:長野市青木島大塚 B目標地点:長徳寺
C形式:平城  D比高:ーm E現況: F遺構等:土塁・堀 
G時代/人物:期/  H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:1分 J撮影・訪問時期:2021年12月
←町田氏屋敷
大堀館から国道19号線を挟んで北側、長徳寺の北側の道の北側に堀と土塁が残る民家がありますが、これが町田氏屋敷です。町田氏は、武田氏滅亡後は帰農し、本家はこの地に住んだようです。

土塁      堀
  

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