信濃 栗田城



ファイルNo3777


              日吉神社(栗田神社)              

@ くりたじょう 
  別名 堀之内城  

A住所:長野市栗田
B目標地点:日吉神社(栗田神社)
C形式:平城  D比高:ーm 
E現況:神社・宅地

F遺構等:郭・土塁・碑・説明板
G時代/人物:平安間末期・戦国期/栗田氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2021年12月

  

道案内 

上信越自動車道の長野インタを下り、長野インタの信号を右折し県道35号線に入ります。約2.5km先、古戦場入口の信号を右折し国道18号線に入ります。約5.2km先の母袋の信号を左折し東通りに入ります。約1.6km先、南部小学校北の信号で左折します。約400m先の七瀬郵便局前の信号で左折します。約300m先の信号が栗田日吉神社北の信号です。ここで斜め左の細い道に入り、約50m先を左折しさらに細い路地に入ります。 約150m先で左折します。右側が日吉神社です。約50m先を右折し、約100m先を道なりに右に曲がると鳥居のところです。
 (あるいは、母袋の信号から入って東通りを約400m先進んだ芹田小学校前の信号を斜め左に入りすぐの東栗田の信号を直進し、約800m先を右折し約100m先の正面が日吉神社です。)

訪城備忘録

鳥居のところに説明板があり、そばに城址碑もありました。北側が一段高くなっていて、横に長く、その上に本殿がありますが、これが土塁の残りです。

城址碑
歴史

平安末期から鎌倉初期(1190年頃か?)、栗田寛覚の子の仲国が築城したとされるようです。 寛覚は村上為j国子とされ、栗田郷に居住し栗田姓を名乗ったようです。 栗田氏は善光寺の別当を代々務め、室町期に入り、一族には戸隠寺の別当を務めた系統もあるようです。1400年代後半、栗田寛慶、子の覚安の時代が栗田氏の全盛期であったようです。栗田鶴寿は、川中島の合戦では、当初は上杉方でしたが、第二次川中島の合戦以降は武田方に転じたようです。鶴寿は善光寺の本尊とともに甲斐善光寺に移り、その後、高天神城の守備に赴き、その地で討死しました。信濃に残った栗田氏一族は武田氏滅亡まで長沼城の番衆を務め、武田氏滅亡以後は上杉氏に従い、栗田刑部は上杉氏の武将として働いたようです。慶長三年(1598年)、上杉氏の会津転封に従いこの地を去り、廃城になりました。

土塁      説明板より
布施高田館 3993  横田城 3994

布施高田館  @:長野市篠ノ井布施高田 (内堀) F:遺構等:説明板
G時代:   H満足度:凸  J訪城:2023年12月
篠ノ井駅からの駅前通り(県道387・385号線)を約200m行き、左折して約70m先の小さな十字路の角に説明板が立っているのみです。基本遺構は無いんですが、用水路の一部が堀跡とも言われるようです。

平安末期(11世紀末)、平正弘の子の惟俊がが土着し布施氏を名乗りました。あるいは、滋野氏一族望月氏の一族が土着し布施氏を名乗ったともされるようです。15世紀初期、布施氏は村上氏に従っていたようで、村上頼清の家臣に布施伊豆守の名があるようです。延徳・明応年間(1489〜1500年)、布施頼久は頼方に布施氏を継がせ平野部の領地を、直頼に平林氏として山間部(須立之城、上尾城)を領有させたらしいです。布施氏は武田氏に従ってましたが、武田氏滅亡後は上杉氏に従い、慶長三年(1598年)、上杉氏の会津転封に従いこの地を離れたとされます。

横田城   @:長野市篠ノ井会 B:会公民館 C平城 F:遺構等:土塁・碑・説明板 G時代:   H満足度:凸+ J訪城:2023年12月
篠ノ井駅からの駅前通り(県道387・385号線)を約600m先が県道77号線との交差点で篠ノ井駅入口の信号です。右折し、すぐ約50m先の布施高田の信号を斜め左の路地に入ります。約200m先の変則十字路を直進します。(気分的にはやや左折。会公民館のバス停有)約50m右手が城跡です。 

路地を歩いていると住宅街の右手に突然という感じで土塁が現れます。高さは3mほどでほんの少し残っています。土塁の上には説明板、碑がありました。反対側に下りると堀跡の説明板もありました。周囲は環濠集落でもあったようです。

築城者、築城時期は定かではないようですが、平安末期には築城されたようです。養和元年(1181年)、木曽義仲が越後の平氏と戦うため、その後の北陸を攻めるための拠点としたようです。応永七年(1400年)、信濃守護であった小笠原長秀と村上氏、高梨氏ら信濃豪族との戦いである大塔合戦の際、一時、長秀がこの城に籠り、のちに塩崎城で籠ったとされます。川中島の戦いでは武田氏の家臣の原大隅守と虎吉が籠ったとされます。第四次川中島の戦い以後は原氏の居城であったようです。近くの観音寺には原大隅守の墓と伝えられる墓があるようです。

布施高田館説明板     横田城説明板
横田城城址碑      横田城土塁
横田城土塁
横田城堀跡説明板   横田城土塁(横から)  

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