信濃 | 栗田城 |
ファイルNo3777 |
@ くりたじょう |
布施高田館 @:長野市篠ノ井布施高田 (内堀) F:遺構等:説明板 G時代: H満足度:凸 J訪城:2023年12月 篠ノ井駅からの駅前通り(県道387・385号線)を約200m行き、左折して約70m先の小さな十字路の角に説明板が立っているのみです。基本遺構は無いんですが、用水路の一部が堀跡とも言われるようです。 平安末期(11世紀末)、平正弘の子の惟俊がが土着し布施氏を名乗りました。あるいは、滋野氏一族望月氏の一族が土着し布施氏を名乗ったともされるようです。15世紀初期、布施氏は村上氏に従っていたようで、村上頼清の家臣に布施伊豆守の名があるようです。延徳・明応年間(1489〜1500年)、布施頼久は頼方に布施氏を継がせ平野部の領地を、直頼に平林氏として山間部(須立之城、上尾城)を領有させたらしいです。布施氏は武田氏に従ってましたが、武田氏滅亡後は上杉氏に従い、慶長三年(1598年)、上杉氏の会津転封に従いこの地を離れたとされます。 横田城 @:長野市篠ノ井会 B:会公民館 C平城 F:遺構等:土塁・碑・説明板 G時代: H満足度:凸+ J訪城:2023年12月 篠ノ井駅からの駅前通り(県道387・385号線)を約600m先が県道77号線との交差点で篠ノ井駅入口の信号です。右折し、すぐ約50m先の布施高田の信号を斜め左の路地に入ります。約200m先の変則十字路を直進します。(気分的にはやや左折。会公民館のバス停有)約50m右手が城跡です。 路地を歩いていると住宅街の右手に突然という感じで土塁が現れます。高さは3mほどでほんの少し残っています。土塁の上には説明板、碑がありました。反対側に下りると堀跡の説明板もありました。周囲は環濠集落でもあったようです。 築城者、築城時期は定かではないようですが、平安末期には築城されたようです。養和元年(1181年)、木曽義仲が越後の平氏と戦うため、その後の北陸を攻めるための拠点としたようです。応永七年(1400年)、信濃守護であった小笠原長秀と村上氏、高梨氏ら信濃豪族との戦いである大塔合戦の際、一時、長秀がこの城に籠り、のちに塩崎城で籠ったとされます。川中島の戦いでは武田氏の家臣の原大隅守と虎吉が籠ったとされます。第四次川中島の戦い以後は原氏の居城であったようです。近くの観音寺には原大隅守の墓と伝えられる墓があるようです。 |
近くの城・関連の城: