信濃 的場城



ファイルNo3091

小型の山城ながら郭を巡る土塁が明瞭

               主郭背後の大堀切一騎がけから主郭を見る

@ まとばじょう 
  別名  

A住所:伊那市高遠町長藤
    旧:上伊那郡高遠町

B目標地点:蓮華寺・香福寺
C形式:山城  D比高:180m 
E現況:山林

F遺構等:郭・堀切・竪堀・土塁
G時代/人物:戦国期/高遠氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  麓の寺から25分

J撮影・訪問時期:2016年04月

  

道案内 ←城跡   ←登城口

中央高速伊那インタを下り国道153号線あるいは国道361号線に出て伊那市中心部の入舟の信号で国道361号線を東に進みます。約10Km先の高遠町中心部の北側、蓮華寺、香福寺の背後の山が城跡です。
 
訪城備忘録

今回は香福寺の左手から登らせていただきました。寺の背後のフエンスをゲートを越えると山裾を用水路が流れています。反対側に墓がありその背後から山に取り付きました。道があるのかないのか? 山を左手から右手に向かって登って行きます。山の中腹にはどうみても竪堀という地形が数か所あります。尾根先端に近付くとまずは三の郭です。卵型の大きな郭で周囲を明瞭な土塁が巡り、途中、虎口があります。三の郭と書きましたが、実質主郭なんでしょうね。居住性を感じる郭です。その背後は傾斜のある二の郭、砲台状の主郭となります。 主郭は土塁も無く、まさに櫓台です。主郭の背後には半円状の横掘があり、さらにその先はいったん落ち込む尾根の鞍部で、そこに一騎駈けの土塁が伸びています。この鞍部は加工され大堀切なんでしょうね。一騎駈けを登りきり尾根の手前に浅い堀切がありました。尾根はさらに山へ続いていますが、自然地形のようです。 小さい城ですが、三の郭周辺は見応えがありました。

香福寺
歴史

築城時期、築城者は不明のようですが、高遠城の支城として機能したようです。高遠氏は天文十六年(1547年)に武田氏に滅ぼされ、それ以後は武田氏の高遠城の支城であったようです。天正十年(1582年)、織田信長の侵攻で、高遠城とともに落城したと思われます。

主郭背後の横掘      三の郭の全景
麓からの眺望
  
山の斜面の竪堀
山の斜面の竪堀
三の郭への坂                    山の斜面の竪堀
三の郭の土塁と虎口
三の郭と土塁
三の郭(周囲を巡る土塁)
二の郭側       竪堀
二の郭から主郭を見上げる
主郭背後の大堀切と一騎駈け       主郭背後の堀
主郭背後の堀と主郭への障壁土塁         二の郭を上から
主郭と手前は堀
一騎駈け先の堀切と竪堀

近くの城・関連の城:高遠城・山田城