信濃/ 竜ヶ崎城



ファイルNo1060

主郭後方に巨大な堀切(写真に写せなかった(泣))

    主郭

@ りゅうがさきじょう 
  別名  −−−−−

A住所:上伊那郡辰野町伊那富
B目標地点:池上寺
C形式:山城  D比高:120m 
E現況:山林

F遺構等:堀切・竪堀・土塁
G時代/人物: 室町期/諏訪氏
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寺より15分

J撮影・訪問時期:2005年09月

  

道案内   

中央高速道伊北インタを下り、国道153号線を塩尻方面に進みます。5Km先の小横川入口の信号を左折し200m先の右側墓地駐車場から墓地を越え墓地後方の山腹のお堂のところに登り、そこよりつづれ折れの道を登って行きます。(池上寺は左折して100mほどで右折した山の東側山麓です。)
 
訪城備忘録
南側の堀切

写真には無いのですが主郭背後の堀切は主郭より深さ10m以上、幅も10m程度ある巨大なものです。急斜面で雨上がりの訪城であったため堀切に下りるのは断念しましたが一見の価値はあります。あります。この堀切は松本の埴原城の主郭背後の堀切というか谷を思い出させますが、ここのはまちがいない堀切です。この巨大な堀切に比べ主郭は10m*20m程度の楕円形の小さなもので周囲を土塁が巡ります。主郭南側下に堀切を越えて郭がありますがいずれもあまり大きなものではありません。

竪堀
歴史

築城時期は不明のようです。文明十九年(1487年)には高遠の諏訪継宗が支城としていたようです。天文十四年(1545年)に武田信玄の伊那侵攻の時には、 福与城の藤沢頼親に救援に深志の小笠原長時が竜ヶ崎城に立て篭もったため、信玄は竜ヶ崎城を攻撃させ板垣信方によって落城し小笠原長時は本拠林城に退去したとされます。

  

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