道案内 |
国道142号線、野沢本町の信号で左折し国道254号線に入ります。佐久大橋を渡り400m先の中込の信号で右折し県道2号線に入ります。さらに、500m先中込橋場の信号で左折し県道144号線に入ります。(直進は県道2号線) 1.1Km先の県道138号線との交差点の平賀の信号を過ぎると右手が佐久城山小学校です。ここより100m先の平賀中宿のバス停そばに右に曲がる路地がありますので右折します。小川沿いを200mほど進むと橋がありますので左折し平賀保育園前を過ぎ住宅団地の奥に進みます。350m先の住宅団地が切れるところに「平賀城址大手入口」という錆びた碑があります。ここの左側にコンクリートの小道が山に続いていますのでこの道から登ります。(ただ、この碑のあるところから右手に車を走らせ段丘の上に上がると新しい住宅団地に入ります。この団地の左手北側の一番奥の道まで行くと先ほどの登城道がいったん合流しています。ここの方が車も止められ楽かもしれません。)
<あるいは、平賀の信号から700m先右手の大林寺から20m先に住宅と住宅の間に右に曲がる路地があります。ここを曲がり住宅地を抜けると道が三叉になりますので中央の道を登り住宅団地を過ぎさらに中腹まで登るとお堂があります。この裏手からも登れ、大手からの道と山中で合流します。ただ、このお堂の前から住宅団地までの間に適当な駐車スペースがないため大林寺から歩くことになるかもしれません。>
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訪城備忘録 |
登城道はわりと緩やかで夏場でも草木少なく登りやすい城でした。三の丸までの登り道には段郭が多くあり、石積みも残ります。主要部は山頂部に三の郭〜二の郭〜主郭と続きます。三の郭下の石垣は周囲を巡っていたようです。二の郭と主郭下の石垣はなにか後世のもののように見えます。主郭は芝生の広場となっており大きさは40m四方程度です。主郭背後は巨石がいたるところに露出する崖になっていました。細い道がついていますが落ちたら洒落にならんと下りのはやめにしました。
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主郭下石垣?
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築城時期は不明ですが、平賀氏の代々の居城とされます。 平賀氏は甲斐源氏小笠原氏系の大井氏・伴野氏と同じ系統と言われており、平安末期に平賀に住して平賀盛義が祖のようです。盛義の子の義信が平賀城を築城したと伝えられます。平賀氏は鎌倉期には有力な御家人となって代々続いたようですが、文安三年(1446年)頃に小笠原氏と抗争し滅亡したようです。その後の平賀城は大井氏の持城となり、大井氏も文明十六年(1484年)に滅亡後は武田氏の持城となったようです。
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