信濃/ 伴野館



ファイルNo0971

             東側の土塁(主郭内) 

@ とものやかた 
  別名 野沢城・伴野城

A住所:佐久市野沢  
B目標地点:城山公園・大伴神社
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:山林・公園

F遺構等:土塁・堀・石積・碑・説明板
G時代/人物: 鎌倉期/伴野氏 
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  から15分

J撮影・訪問時期:2005年08月

  

道案内   

上信越高速道佐久インタを下り、料金所を出て右折し700m先の佐久IC西の信号で左折し国道141号線に入ります。約9Km先の跡部の信号で左折し国道254号線に入ります。 野沢本町の信号直進し県道144号線に入ります。300m先をで左折した300m先左手一帯が城跡です。
 
訪城備忘録
北側の土塁と堀

館跡は城山公園として整備されています。東西及び北側にコの字状に土塁が残り外側には水路になっていますが堀跡が残ります。資料にある古い写真(昭和40年代)と比べると現状の堀は1/3以下の幅になって残りは道になっているか感じです。

西側の土塁と石積み?
歴史

鎌倉初期、小笠原長清の六男時長が伴野庄に入り伴野氏を称しこの館を築いたとされます。その後、拡張され野沢城と呼ばれるまでに拡大しましたが、戦国初期にこの城は平城での防御の不安から伴野光利は本教を前山城に移り、前山城の支城となり野沢康政が在城しました。天正十年(1582年)に徳川方の依田氏攻められ落城しました。江戸期になって米倉として利用されたり、代官役所が設置されたりしたため、城跡は旧状を留めているものです。

  

近くの城・関連の城: 平賀城 前山城