信濃/ 羽場城



ファイルNo0876

        主郭東側空堀

@ はばじょう 
  別名  −−−−−

A住所:上伊那郡辰野町羽場  
B目標地点:手長神社
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:神社・宅地・畑地

F遺構等:堀・土塁・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/小笠原氏 
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  1分

J撮影・訪問時期:2005年05月

  

道案内 

中央高速道伊北インタを下り、国道153号線を松本方面へ右折します。国道を800mほど進み、羽場の信号で右折し飯田線の「はば駅」まで行きます。羽場駅前で左折し200mほど進み県道203号線で右折し踏み切りを渡ります。渡ってすぐ左折し線路沿いの小道を天竜川沿いまで行きます。天竜川手前左手に手長神社がありここが城跡です。 

訪城備忘録

主郭は北を天竜川に接し東西南の土塁と堀が残ります。特に西側土塁と東側の堀が明瞭な形で残っています。また、主郭の東側の東の郭には櫓台と言われる土壇が残っています。

城址碑
歴史

▲現地説明板が二つあり若干異なる説明になっています。
 【 】は別の案内説明板より < >は補則です
天文年間(1532〜1554年)小笠原十二郎が居城したとされます。【天文の始めに松尾城主(飯田市)の小笠原貞宗の四男の小笠原重次郎(十二郎?)が築いたとされます。 <貞宗は居城を松尾城から松本の井川城に移しています> 武田氏の侵攻時には小笠原長時の家臣の草間肥前守時信がこれを防ぎました。 <武田氏の伊那谷侵攻は天文十四年(1545年)と天文23年(1554年)弘治元年(1555年)であり、松本の林城の小笠原長時が武田氏の侵攻で松本から敗走するのは天文十九年(1550年)であるので、この時の侵攻は天文十四年だろうか?> その後、宗氏の四男の左門、左大夫氏行・・・行政・政氏らを在城させましたが、政氏の時、弘治年間に再度の武田氏侵攻時に落城しています。武田氏は柴河内守を在城させましたが天正十年(1582年)の織田氏の侵攻で落城しました。文禄年間(1592〜1595年)に飯田城に在城した京極高知はこの城に城代を置きましたが、移封後廃城となりました。】
江戸期に入り伊那十三騎のひとりとされる柴氏が居住しましたが、主郭部のみの居館であったようです。寛永十三年(1636年)に高遠城の保科正之が出羽山形に移封されると柴氏も従いこの城は廃城になりました。  <現地案内板より>

西の土塁     東・南の土塁
西の堀      二の郭櫓台
  
現地案内板より

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