信濃/ 大河原城



ファイルNo0641


                          台地先端の曲輪と空堀  

@ おおがわらじょう 
  別名  −−−−−

A住所: 下伊那郡大鹿村大河原上蔵 
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:60m 
E現況:畑地

F遺構等:堀・碑・説明板
G時代/人物: 南北朝期/香坂氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  福徳寺より7分

J撮影・訪問時期:2005年02月

  

道案内 

中央高速松川インターを下り県道59号線を国道153号線へ進みます。上新井の信号で国道153号線と交差しさらに県道59号線を進みます。いったん県道18号線と共用となり天竜川を渡り、渡ってすぐ信号を右折し再び県道59号線を進みます。小渋川沿いの細い県道を進み、小渋ダムを越え四徳大橋を越えると県道22号線と合流します。川沿いは県道22号線となりさらに進みます。大鹿村役場付近で国道152号線と合流しますので右折し国道152号線を進みます。(ここまでインターから26Km) 役場から約3Km先で国道152号線は右折して小渋川(小渋橋)を渡りますが、その地点で直進し県道253号線を進みます。約300m先で県道は左手に行きますが右手の福徳寺という案内に従い右手を進みます。二股より約1Kmで上蔵(わぞ)史跡案内という案内板が右手にあります。福徳寺本堂はこの案内板の道を挟んで反対側にあります。城跡は案内板の後方川の淵ですが、道標に従い進みます。ただ、集落内が道が細くこの案内板のところから歩いた方が無難です。
 
訪城備忘録

小渋川沿いの断崖の上に城跡はあります。川に浸食され往時の城地はどれほどあったのかわかりません。今はわずかな削平地と台地側とを隔てる堀跡がわずかに残るのみです。

城址碑
歴史

築城時期などは定かではありません。南北朝の頃、大草郷から大河原までの一帯を領有した香坂氏の居城とされます。香坂高宗の時、この城には後醍醐天皇の第八皇子の宗良親王が滞在し(のちに御所平に移られた)征東府を置き三十年余り北朝に抗された所です。香坂高宗は宗良親王に忠節を尽くしたとの事です。


 【福徳寺本堂】
大河原城と直線で300m程度の所、国道152号線より上蔵地区に入って来た道沿いにあります。鎌倉末期の建物で長野県最古の木造建築です。
また、左写真の福徳寺本堂の後方の丘に香坂高宗の墓があります。

城跡周囲         福徳寺本堂
  

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