信濃/ 高遠



ファイルNo0398

武田氏滅亡前激戦の地

                            空堀

@ たかとうじょう 
  別名  −−−−−
A住所:伊那市高遠町東高遠
    旧:上伊那郡高遠町東高遠

B目標地点:高遠城址公園
C形式:平山城  D比高:30m 
E現況:公園・畑地・山林

F遺構等:堀・土塁・移築門・石碑・説明板
G時代/人物: −−期/諏訪氏
H満足度:
凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  10分

J撮影・訪問時期:2001年04月・2005年9月 
            2010年8月

  

道案内 

中央高速伊那インタを下り国道153号線あるいは国道361号線に出て伊那市中心部の入舟の信号で国道361号線を東に進みます。約10Km先の高遠町中心部の東側で三峰川の北側が城跡です。 

 
訪城記録

大きな空堀に囲まれた各郭が残り、特に本丸の空堀は深く明瞭です。印象は三河の長篠城や伊那の春日城に似た感じで梯郭式の縄張りを持つ城郭です。桜で有名な高遠城ですが訪城した時期は桜が散った少し後で名残がほんの少し残っていました。朝の7時の訪城でもあったためか物寂しげな印象です。本丸に移築の問屋門と三の丸には相当に変更されていますが追手門の楼門が移築されており、太鼓櫓が復元されています。

2005年、2010年と夏の夕方に訪れています。2010年は日が落ちた後だったので写真にはなりませんが、静かな城跡を散歩させていただきました。
2016年4月、久々に寄りましたが、桜がまだ残っていてとても城跡には入れず。^^; 遠くから眺めました。


問屋門(移築)
歴史

築城時期は定かではありませんが、諏訪一族が領し、諏訪頼継が高遠に住したという史料があるようです。天文十六年(1547年)に武田氏が侵攻し武田氏の伊那谷統治の拠点のひとつとなります。天正十年(1582年)に織田氏が伊那谷に侵攻、高遠城は仁科五郎盛信(信玄の五男)が守っていましたが玉砕しました。同年の本能寺の変後徳川氏の支配となり保科氏が入り、天正十八年(1590年)以降は豊臣氏配下の城を経て、関が原の戦い以後は再び保科氏(正光)の支配となります。寛永十三年(1637年)正光の用紙で徳川秀忠の庶子と言われる正之が会津に転封後、鳥居氏の時代などを経て、元禄四年(1691年)に内藤氏が城主となり清枚から始まり頼直で明治を迎えました。


追手門(移築・改築物)          復元太鼓櫓
空堀
本丸と南丸の間の堀切        本丸問屋門側石垣
藩校・進徳館
本丸
  
2016年4月遠望
2016年4月遠望
連華寺                              七面堂(この横に絵島の墓)

近くの城・関連の城:蟻塚城 山田城 的場城