信濃/ 山家城



ファイルNo0389

       主郭下石垣

@ やまべじょう 
  別名  中入城

A住所:松本市入山辺中入
B目標地点:
C形式:山城  D比高:150m 
E現況:山林

F遺構等:石垣・堀・土塁・堀切・竪堀(畝状)・説明板
G時代/人物: 戦国期/山家氏・小笠原氏
H満足度: 凸凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  40分

J撮影・訪問時期:2004年05月

  

道案内   

松本城・松本市役所近くの国道143号線城東2丁目の信号から国道67号線で東に向かいます。2.3Km先の兎川寺の信号を越え(林城近く)、1.4Km先の入山辺郵便局・JA山辺ワイナリーを越え(桐原城近く)、ここから2.5Km先徳運寺の入口から県道をあと100m進んだところで左折しますとすぐに説明板が右にあります。ここより直進して150m先で集落を抜けたらすぐ左折して寺のほうに向かいます。左折して100mほどでこんどは右折して山のほうに向かいます。(周りは一面畑)山を少し上がったくらいでアスファルト道は水道施設のところで終わります。ここより徒歩でもう一段上に登ると崖下に水神の碑があります。ここから200mほど左に行くと山道が右手にあります。
 
訪城備忘録
主郭の祠(後方土塁)

山道を登り尾根先端付近で左手を見ると松本平が遠望できます。さらに登ると尾根上に4本の明瞭な堀切が確認できます。堀切間で出来た空間には段郭が続きますが単調な削平地の郭ではなく、土塁を伴う郭、次の郭との切岸の高低さのあるもの、それぞれ見応えがあります。各堀切は両サイドともに長い竪堀が接続しています。主郭は三方に土塁が巡り、主郭下東側には高さ2〜3mの鉢巻状の石垣が10mほど残存します。往時は主郭周囲を石垣で固めていたものと思われます。石垣形状は小笠原氏系でよく見る石垣です。主郭背後の尾根には5条の連続堀切が続き各堀切は両サイド竪堀を接続し各竪堀は山腹で一箇所に集結いている構造になっています。5条の堀切を越えると主郭より大きな郭があり現在は秋葉神社があります。この郭の西側に畝堀状に竪堀があります。また、南側には堀切さらにその向こうには削平はすこし不十分に思える広い郭があります。この秋葉社周辺の城域は武田氏支配時代に作られたものと推測されるとのことです。

秋葉社の郭
歴史

築城は鎌倉時代末期から室町期初期とさせていますが定かではないようです。(至徳年間(1384〜87年)の大島丹後守が築城とも言われます。) 山家氏が史料に出てくるのは1440年頃小笠原氏の家臣としてです。その後、文明十二年(1463年)頃、山家氏(光家)は小笠原氏(長朝)に敵対し山家城を追われ武田氏に従ったようです。小笠原氏(長時)は天正十九年(1550年)に武田信玄に破れ佐久に逃れ、山家城は武田氏の城として改修されますが、城主として山家氏(頼広)は復帰しているようです。武田氏滅亡後は徳川氏方となった小笠原氏(長慶)が再度この地も領有したと考えられます。

主郭手前の堀切    秋葉社背後の堀切
主郭背後の堀切  主郭東側下の石垣
  

近くの城・関連の城:桐原城