信濃/ 北熊井城



ファイルNo0383

二重の横掘・郭を隔てる堀切との連結。この地方ではあまりみかけない縄張りの城

                主郭南側の堀切(城跡を横断する道になっています)             

@ きたくまいじょう 
  別名 

A住所:塩尻市片立<北熊井>
B目標地点:
C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:畑地・山林

F遺構等:堀・土塁
G時代/人物: 戦国期/小笠原氏?
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  7分

J撮影・訪問時期:2002年06月

  

道案内   

長野高速道塩尻インターより国道20号線に出て、桟敷の信号より県道63号線へ右折し長野道のガードをくぐり宮村の信号より右手方向に入り100m先を右折し、常光寺方向に進みます。寺の南側が城跡です。 (ガードをくぐってすぐに測道がありこれを右折しても行けます)に進みます。城跡側にスーパー農道があります。
 
訪城備忘録
主郭下堀切

塩尻・松本方面を見渡せる丘の斜面にさらに細長いコブのように隆起している部分に城跡はあります。二度ほど訪れましたが、いずれも夏場に近く草が生い茂り堀跡などははっきり見ることができない状態でした。高低差のない城域を守るためか横掘が多用され城域周囲には横掘が巡り、郭間は堀切で処理されています。特に西側は二重の横堀になっています。主郭と思われる前後は郭との高低差を出来るだけ付け、幅も広くとった堀切です。また、主郭は畑地に利用されていますが主郭南側の堀切周囲に土塁が確認できます。それ以外も郭(主郭前後の堀切を隔て郭があります。)にも(特に南側の郭)土塁が草木には埋もれていますが確認できます。

城跡東側
歴史

築城時期は不明ですが、小笠原氏が南の備えとして築城したものと考えられます。また、天文十九年(1550年)の武田信玄の侵攻時は武田氏が占拠し松本平侵攻の中継地にしたと考えられます。

  

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