信濃/ 光城



ファイルNo0371


                            主郭

@ ひかりじょう 
  別名  仁場城

A住所:南安曇郡豊科町光城山 
B目標地点:
C形式:山城  D比高:380m 
E現況:山林

F遺構等:土塁・堀切・碑・説明板
G時代/人物: 戦国期/光氏(海野氏)
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  山頂駐車場5分

J撮影・訪問時期:2002年06月

  

道案内 

松本方面から来ると、国道19号「田沢北」の信号で右折し県道57号線に入ります。国道143号線に向かう途中1Km先に光城山入り口案内板があります道を左折して山道を3Kmほど登った頂上付近で左手に入る道がありますのでそこを進みますと公園駐車場です。
 
訪城備忘録

夏の時期でしたので遺構は草木に埋もれていましたが、主郭周辺は神社・公園となっており土塁は確認できます。主郭北側は小峯神社となっており東側から北側にL字に土塁が残ります。主郭南側に二の郭がありますが草木にうもれてよく判りません。間の堀切はなんとか堀切の形状が判ります。主郭北側には長大な竪堀があるよですがまったく確認できませんでした。比高が380mもありここよりの眺望はすばらしいです。この城を縦走できるハイキングコースがあるようですが、訪城時、若い女性が独りでトレーニングなのか早足で歩いておいででしたが、私はとてもこの城を軽快には歩けそうも無い・・・(ーー;)

現地説明板より
歴史

鎌倉時代に海野氏の支族この地に来住しました。戦国期に入り、末裔の海野六郎幸元がこの地に城を築き、光之六郎幸元と名乗りました。海野一族はこの周辺に会田城・刈谷原城(鷹巣城)・田沢城(上の山城)・塔の原城を築いて互いに連携しました。天文二十二年(1553年)に武田晴信(信玄)に刈谷原城攻めの際に光城は自落しました。天正十年(1582年)徳川方として松本に復帰した小笠原貞慶によって改修されたと考えられます。

土塁          堀切
  

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