東三河の城010/

                                                                               

形原城 (稲生城)  0186
城址碑

城山(東古城)
A蒲郡市形原町  B古城稲荷神社

国道23号線を蒲郡中心部より西に向かい 蟹洗の信号にて左折し国道247号線に入ります。競艇場前を過ぎ、2Kmほど行くと天神橋北の信号、その次の信号(左の角にコンビニ)を左折し、県道321号線入ります。途中クランク状態の道でありますが県道を道なりに1kmほど行くと 形原港町の信号にて左折します。(左折というより県道が右折しているため直進のような感じ)そこより100mほどで形原城址の道標有ります。城跡は段郭状の郭跡は城跡かなと思わせますが、はっきりたした遺構は確認できません。

C丘城
F遺構等:郭・碑・説明板 
G鎌倉期/形原氏・松平氏  
H満足度:凸
平安期末期に新羅三郎義光の孫の形原下司次郎師光が東古城を築いたとされます。鎌倉期は形原氏が支配とたされます。戦国期、岩津城(松平氏三代)の松平信光の四男の与副(ともすけ)が居城し、形原松平氏の始祖となります。北古城、南古城は松平氏が築いたとされます。形原松平氏は江戸期、八代清正は寛延元年(1748年)に丹波亀山城五万石で入り、明治まで続きました。

J訪城:2003/02
  
五井城  0184
堀跡と言われる池
A蒲郡市五井町
B八幡宮・長泉寺
国道473号線を蒲郡市内から来ると水竹の信号を右折し、五井町の北側の八幡宮が城跡です。城跡と言っても明瞭な遺構らしきものはありません。八幡宮前の池が堀跡と言われています。近くの長泉寺には五井松平氏の歴代の墓があります。

C平城
F遺構等:堀?  
G戦国期/松平氏  
H満足度:凸
鎌倉初期に新宮氏が築いたとの言い伝えもあるようです。戦国期に入り、松平信光の五男の忠景が入り、五井松平氏の始祖となります。天正十八年(1590年)に六代の伊昌が下総に移り、城は廃城になったと思われます。

J訪城:2003/02