東三河/ 和田城



ファイルNo0112

竹薮のなかに長さ50m・深さ3mほどの空堀がよく残る。南側に虎口状の遺構も認められる

        空堀   

@ わだじょう 
  別名  嵯峨城

A住所: 豊橋市石巻本町 
B目標地点:春興院     
C形式:丘城  D比高:10m 
E現況:雑木林

F遺構等:郭・空堀・土塁
G時代/人物: 戦国期/和田氏・渡辺氏
H満足度:
凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  寺より10分


J撮影・訪問時期:2002年07月

  
道案内 

東名高速道の豊川インタを下りて、国道151号線を豊橋方面に進み、インタから2Km先、五つ目ほどの信号の馬場町の交差点を左折し国道362号線を三ヶ日方面に進みます。2.5Km先で豊川を越え、さらに2Km先で県道81・31号線との交差の和田辻の交差点に至ります。(和田辻という交差点はこの県道との交差点より手前にもあるので注意)「和田辻」の信号のひとつ手前の信号(=これも和田辻の信号)で左に曲がり、細い道を800m進み、坂が下る手前で右折すると春興院というお寺に入ります。お寺を正面にして手前に駐車場、左に貯水池、右に個人住宅が数軒あります。その住宅の裏手の雑木林の中に城跡はあります。 

訪城備忘録

個人住宅の裏手の雑木林を50mほど入ると幅3m、深さも3mほどの空堀にぶつかります。空堀の向こうは主郭のようですが、竹藪で見通せません。また、お寺の裏手にも浅いが空堀が続き、今は雑木林の平坦地が広がりますが、どこまで城域で、このお寺の裏手の空堀は城の遺構なのかは判断しかねます。

空堀(虎口近く)
歴史

史料には和田民部、渡辺久左衛門の名が残ります。和田氏についてはよくわからないようですが、渡辺氏は代々摂津国に住み,楠木正成と共に千早赤坂城に籠城し、その後、当地方に来たらしいです。 和田という地名・名前は全国にありますが、楠木氏との関連が多い名前のようです。

  

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