東三河/ 畔田城



ファイルNo0090

断崖先端の主郭まで、連続土橋が印象的です。

       虎口土塁

@ くろだじょう 
  別名 

A住所: 豊橋市城下町
B目標地点:大円寺  
C形式:丘城  D比高:20m(台地側から) 
E現況: 

F遺構等:郭・空堀・土塁・土橋・碑 
G時代/人物:−−期/畔田氏?・黒田氏?
H満足度: 凸凸
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  釣具屋さんの前より15分

J撮影・訪問時期:2002年9月・2004年8月

  
主郭

【道案内】 ←城跡の入口

国道42号線を城下の信号から100mほど静岡県側に行くと左に大円寺があります。国道挟んで寺の前に海側に向かう農道がありますのでその道に入ります。(城下の信号から来ると右折) 500mほど走るとアスファルトの道は直進と右折に分かれますので右折してください。さらに500mほど行くと右手に一見民家ですが釣具屋さんがあります。ここの前の農家の裏手に海側に向かう細い道があります。ここを登って行くと城跡です。(城下の信号からまっすぐ海側に入れば来れそうですが、道の狭いので迂回して来た方が安全と思います。)



【訪城備忘録】

畔田城は遠州灘に面した段丘にあります。主郭に建つと波が岩に砕ける音が聞こえます。農家の裏手の道を登ると左側に削平地が確認できます。さらに登ると土塁が巡る郭が左右に配置された所に出ます。左右の郭の間で土塁が切れており虎口状になっています。その先は土橋(空堀)、馬出し状郭、再度土橋(左右空堀)と続き主郭に至ります。空堀は幅もあり深さも5m程度ありけっこうしっかりと残っていると言えます。主郭を前面にして右手の空堀はL状に主郭を巡り太平洋側に落ちているようです。ただ、資料には太平洋戦争時期にこの城跡を軍用施設として使われた形跡があるとのことであり、すべてが城の遺構とは限らないようです。 なお、2002年に訪城にはなかった案内標柱が2004年夏の訪城には設置してありました。


【歴史】

畔田氏の本城です。築城時期は定かではありませんが、応永年間(1394〜1428)と考えられています。文明七年(1475年)、田原の戸田宗光の進出で畔田氏は戸田氏に従い、その後、今川氏に従いました。永禄七年(1564年)頃、今川氏が徳川氏によって三河から退いた際、畔田氏も遠江国平川郷へ落ちたとされます。

  
土橋
  
土橋と堀
  
  

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