尾張/ 長田屋敷
野田大坊



ファイルNo1225


                          野間大坊  

@ おさだやしき 
  別名 

A住所:知多郡美浜町野間
B目標地点:野間大坊
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:梅林・田畑

F遺構等:なし(標識有り)
G時代/人物:平安期/長田氏
H満足度: 凸☆
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  野田大坊の東5分

J撮影・訪問時期:2005年09月

  

道案内  

南知多道路の南知多インタから県道52号線・県道276号線・県道275号線と来て、善法寺のところで左折し国道247号線に入り、1Km先の野間小学校前を過ぎて、200m先を左折した500m先が野間大坊(内海大御堂寺)です。 
 
訪城備忘録

長田屋敷は畑になっており遺構は無いようです。野間大坊には源義朝の墓、義朝の首を洗ったとされる血の池などがあります。

源頼朝寄進の山門
歴史

平治元年(1160年)の平治の乱で平清盛に敗れた源義朝らは、家臣の鎌田政家の義父である長田忠致の屋敷に身を寄せましたが、忠致・景致父子の寝返りで義朝は湯殿で殺され、正家もまた殺害されました。後に、頼朝が挙兵した後、長田氏は頼朝に従い、平家討伐に従軍しましたが、平家滅亡後に、頼朝から磔の刑に処せられました。さらに、織田信長の三男の織田信孝の墓もあります。信孝は本能寺の変後に柴田勝家と連携し豊臣秀吉に対立しましたが、賤ケ岳の戦いで勝家が破れて北ノ庄城で自害後に降伏し、織田信雄の命でこの野間大坊に入り、信雄より命によりここで自害しました。

 血の池               源義朝の墓
  

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