尾張 末森城



ファイルNo0548


                南の空堀          

① すえもりじょう 
  別名  -----

②住所:名古屋市千種区城山町2丁目
③目標地点:城山八幡宮
④形式:平山城  ⑤比高:10m 
⑥現況:神社・学校敷地
⑦遺構等:堀・土塁・碑・説明板
⑧時代/人物: 戦国期/織田氏
⑨満足度: 凸凸
⑩最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  5分

⑪撮影・訪問時期:2002年04月・2018年06月 他

  

道案内 ←神社駐車場

名古屋市中心部より広小路通りで千種区まで来て、(県道60号線)末盛2の信号を左折しすぐに(信号より100m先)右折の路地に入ります。(信号が無いため注意ください。)路地を登ると元は大学の研究棟があります。ここも副郭です。この奥に城山八幡宮があります。または、末盛2の信号を直進して次の城山八幡宮前の信号で左折しますと石段の前に着きます。ここに説明板が立っています。 
訪城備忘録

東山公園近く、住宅街の中に奇跡的な感じで本丸周りの空堀が残ります。主郭である城山八幡宮の南側から東側にかけて幅5m深さ3m程度でしょうか明瞭な空堀が巡ります。西側は削り取られた感じですが、それでも残った部分が大きな口を開けている感じに残ります。2004年、八幡宮の境内で大穴が見つかりました。抜け穴か?どうなんでしょうか?

城址碑
歴史

天文十七年(1548年)古渡城にあった織田信秀が三河に備え築城し古渡城から移りました。信秀の後は信長の弟の信行が城主となりますが、弘治二年(1556年)に兄の信長に背き、稲生原の戦いで信長に破れ、翌年信長に誅された後廃城になったとされます。しかしながら、現在の遺構は天正十二年(1584年)の小牧長久手の戦いの頃、織田信雄によって改修された当時のものと考えられます。

北の空堀     西の空堀
  
城山八幡宮
現地案内板より

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