尾張 小折城



ファイルNo0543

                城跡碑            

@ こおりじょう 
  別名 生駒屋敷  

A住所:江南市小折町八反畑
B目標地点:布施駅、布袋東保育園〜久昌寺・龍神社
C形式:平城  D比高:−−m 
E現況:宅地・畑地

F遺構等:移築門・碑・説明板
G時代/人物:戦国期/生駒氏
H満足度: 凸+
I最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:
  2分

J撮影・訪問時期:2002年07月・2008年11月

  

道案内  

東名高速道小牧インタを下り、犬山方面に向かいます。250m先の村中の信号で左折し国道155号線に入ります。2.5km先の南山町中の信号を左折して400mほど先の右手の保育所の一角に碑があります。

訪城備忘録

城跡碑が保育園の一角にあるのみです。この碑のある付近は二の丸であったようです。近くの久昌寺に吉乃の墓があり、龍神社付近は吉乃御殿とされます。さらに、中門が近くの民家に移築されています。久昌寺には生駒氏の菩提寺で吉乃の法名から改名したようです。吉乃の墓もここにあります。

吉乃の墓(右端)
歴史

大和の生駒にいた生駒氏は応仁の乱の頃にここに移住しました。これは前野氏が宗安の時に承久の乱(1221年)に敗れ、生駒氏に庇護された旧縁を頼ったとされます。生駒氏の三代家宗の娘の吉乃は織田信長の側室となり、信忠・信雄・五徳の三人の子をなしました。永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いの軍費は生駒氏四代家長が工面したと伝わります。江戸期に入り、五代利豊以降は尾張藩藩士として仕えたようです。

     中門                 現地案内板より
          吉乃御殿 2018 ←龍神社 
龍神社                      埴原塚
         埴原屋敷 ←常観寺
常観寺                      久昌寺
埴原屋敷は埴原加賀守の屋敷址とされます。常観寺の南側一帯にあったようですが、今は住宅地となってなにもありません。埴原氏は八条流の馬術の名手で諸国を武者修行中に信長に仕え、清洲城代などを務めたようです。慶長三年(1598年)に没し、龍神社の前が埋葬地であり、現在、龍神社にある埴原塚は土地改良でこの場所に移されたものです。

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