尾張の城037 ▽
伊勝城 1972 |
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A名古屋市昭和区伊勝町 B宝珠院 名古屋の中心地から広小路通りで東山公園を目指します。末盛通2丁目で右折し県道30号線に入ります。1km先の信号を左折し坂を登ると右手が宝珠院です。宝珠院の裏手になりますので、一方通行で右折できませんから、周囲を廻って正面にでます。周囲は住宅密集地ですが、丘の上という感じです。 |
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C丘城 F遺構等:なし G室町期/佐久間氏 H満足度:凸 佐久間盛政が築城しましたが、御器所西城に移ったため廃城になったとされます。 |
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J訪城:2008/09 | ||
御所屋敷+御器所東城+服部屋敷 1973 |
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A名古屋市昭和区御器所2丁目 B宗円寺 国道41号線を名古屋中心部から南下します。東郊通2丁目の信号を越え、200m先が御器所1丁目の信号、さらに200m先が白金1丁目の信号で、ここを左折します。500m先の<村雲町と御器所4丁目との境>の信号を越えて200m先の信号付近が御器所東城あたりです。この十字路を左折し、二つ目の路地を左折し、100mほどいった右角が御所屋敷です。また、<村雲町と御器所4丁目との境の信号>を越えてすぐに左折した200m先が宗円寺です。 御所屋敷には碑と説明板があります。思った以上に狭い空き地で碑も小さなものでした。御器所東城、服部屋敷は特定できる感じではありません。服部屋敷であった宗円寺も、寺と言ってもマンションで、マンションの一階が寺でした。ここにおかれた石造物は佐久間氏に関係あるらしいです。 |
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C平城 F遺構等:石碑・説明板 G戦国期/佐久間氏 H満足度:凸 御所屋敷は 豊臣秀吉の母の生誕地とされます。 御器所東城は服部氏で佐久間氏の臣下でありました。 服部屋敷は服部源左衛門の屋敷とされ、御器所東城の服部将監の子とされるようです。 |
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J訪城:2008/09 | |||||
高田城 1974 |
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A名古屋市瑞穂区亀城町 B御剣小 国道41号線を名古屋中心部から南下します。高辻の信号を越え、300m先を左折し坂を登ります。700m先右手が御剣小学校でここが城跡です。正門へは一方通行のため右に曲がれないため小学校の周囲を一周して正門前に戻ってきました。正門入口の史跡案内標識に「ここは高田城址」という表示案内がありました。遺構はまったくありません。周囲は住宅密集地ですが、丘の上にあります。 |
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C丘城 F遺構等:城跡標識 G戦国期/村瀬氏 H満足度:凸 永禄年間(1558〜70年)に村瀬浄心が居城したとされます。 |
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J訪城:2008/09 | ||||